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<韓国新指揮官の不敵> 洪明甫 「我々は日本を圧倒した」
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byShinji Akagi
posted2013/08/13 08:01
代表チームの再建を任された韓国サッカー界のカリスマ。
国民の期待を背負って戦った初の国際大会は
最大のライバルに痛恨の敗北を喫し、2分1敗に終わった。
しかし五輪銅メダルの立役者は不敵な笑みを浮かべる――。
「今日の日本は何もできなかったと思う。我々が相手を圧倒していた」
うだるような湿気のソウル・蚕室スタジアムで、涼しげな白いワイシャツ姿の洪明甫(ホン・ミョンボ)はそう言い切った。
自身が韓国フル代表監督として初めて臨んだ東アジアカップの最終戦で、日本に敗れた直後のことだ。普段は公式会見以外では一切取材に応じないが、この日は取材エリアを通り過ぎ、「あら、俺を誰も捕まえないの」と軽口を叩いた。こちらから、「日本の印象は?」と聞くと、冒頭の答えが返ってきた。
W杯本大会までの残り時間が少ない中、大会を2分1敗、総得点わずか1で終えた。しかも韓国サッカー界での最大の罪、「ホームでの日本戦敗戦」を喫した直後だ。
何なんだこの自信は。根拠はどこにある?
東アジアカップを1カ月後に控え、ホン・ミョンボは韓国代表監督に就任した。南アW杯でのベスト16入り後、3年で3人目の監督だった。
1人目のチョ・グァンレは'11年12月に協会との関係がこじれ電撃解任。後任のチェ・ガンヒは、本心は代表監督就任に後ろ向きだった。自ら任期をW杯最終予選までとし、その後は元々指揮を執っていたKリーグ全北への復帰を早々と宣言した。“レンタル監督”は選手からの求心力が低く、特に主力のキ・ソンヨン(スウォンジー)とは強く衝突した。6月のW杯予選の3試合でキをメンバー外にすると、チームは196cmのFWキム・シンウク(蔚山)にロングボールを当てざるを得なかった。結局、グループ3位に得失点差わずか1上回り、本大会出場を決めたのだった。