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<運命のドラフトを巡る証言>松井秀喜
――長嶋監督の電話にも怪物は笑わなかった。
text by
小川勝Masaru Ogawa
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2010/10/22 06:00
くす玉の垂れ幕に、なぜか「阪神松井誕生」の文字が。入団後は、ミスターと固い師弟関係を築いた
プロ野球の歴史は変わっていたかもしれない。
1992年11月21日ドラフト当日、「スポニチ」アマチュア
野球担当キャップとして松井秀喜を取材した小川勝氏が、
巨人1位指名を受けた若き“ゴジラ”の印象を語る。
長嶋茂雄監督が「選択確定」のクジを引いてガッツポーズを見せた時、松井秀喜は4時限目の授業中で、まだ星稜高校の教室にいた。12年ぶりに現場復帰した長嶋監督が、復帰後初仕事のドラフトで、4球団競合の中から松井を引き当てた。この出来すぎたストーリーに、報道陣は色めき立った。
だが、松井は授業が終わるまで姿を見せなかった。校内では、大教室の一室が記者会見用にセッティングされ、ざっと150人の報道陣が待機していた。松井を指名したのは巨人、阪神、ダイエー、中日の4球団。松井が子供のころから阪神ファンで、ドラフトの第一希望も阪神だということは、筆者を含め松井番記者の間ではよく知られていた。ただ阪神以外でもプロ入りする気持ちがあることは表明していたから、巨人に入るのは間違いない。会見場の大報道陣は、新生長嶋巨人の門出に、これ以上ない理想の大物新人が入るというストーリーに興奮していた。
学生服姿の松井が入ってきて会見の席に着くと、落雷のようなストロボとシャッター音の連続で、しばらくの間、誰も質問できなかった。それは記者会見ではお馴染みの光景ではあったが、それにしてもシャッター音の時間が長かった。10秒……15秒……撮影はなかなか一段落しない。見ていると、その理由が分かってきた。松井が笑わなかったからだ。
松井の口調から、阪神に入れなかった失望感が伝わってきた。
長嶋巨人のドラフト1位。報道陣は無意識のうちに、会見場に入ってきた彼に笑顔を、少なくとも、抑え切れない喜びの表情といったものをイメージしていた。しかし実際の松井は、そういった表情をまったく見せなかった。撮り続けても松井は笑いそうにないと分かったあたりで、ようやく撮影は一段落した。
長らく、巨人1位指名の記者会見というのは、基本的に歓喜の会見だった。だが、松井はそうではなかった。彼はとても静かで、心の底の失望が表に出ないよう努力していた。
「とにかく、決まったところに行くつもりでした。長嶋さんには(ドラフト前から報道を通して)いろいろ褒めていただいて、クジも引いてもらって感謝しています」
出てくる言葉は巨人に配慮したものだったが、その口調から、阪神に入れなかった失望感が伝わってきた。ずっと追いかけてきた松井の番記者であれば、阪神に対する彼の思いの強さを、その口調から感じることができた。