野球クロスロードBACK NUMBER
ソフトバンクでの6年間を糧に――。
多村仁志が古巣DeNAにもたらすもの。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2013/03/22 10:32
「ホークスでの経験を生かして、優勝を目指して頑張っていきたい」とDeNA復帰での抱負を語っている多村。ホークスでの優勝を経験したことが、どう生きるか?
王貞治の下で多村に浸透した「強者のエキス」とは?
トレードで移籍した1年目の'07年、当時、チームの監督を務めていた王貞治は、常に「負けたくない」「やるなら全試合に勝つ」といった姿勢を選手たちに植え付けた。主力だった川崎宗則も、「10割を打ちたいんです」と高い志を口にしながら、ゲームでは自己犠牲を厭わないチームプレーを貫く。'00年代に入り、この時点で2度のリーグ制覇。ソフトバンクの強さはそこにあった。
「強者のエキス」は、多村の体のなかに徐々に浸透していった。
試合前には、以前にも増して対戦相手のデータを入念にチェックする。打席では投手のコントロールや変化球のキレなどを確かめた上で、その時に適した打撃を心掛ける。守備でも同様に、打者の特徴や状況に応じたポジショニングを適時、実行する。1試合、1打席、ワンプレー……。そういったきめ細やかな対応を心掛けることによって、多村は「常勝」と呼ばれるソフトバンクでも地位を確立する。
移籍1年目の'07年は13本塁打。'08年は故障に泣いたが、'09年には17本塁打、'10年にはチーム三冠となる打率3割2分4厘、27本塁打、89打点をマークしてリーグ制覇に貢献。'11年もシーズンでは精彩を欠いたものの、中日との日本シリーズでは第3戦に2ランを放つなど、チームの日本一を支えた。
「大洋時代からずっとファンだった」古巣へ、7年ぶりに復帰。
'12年は成績が伸びず、柳田悠岐ら若手の台頭もあり控えに回る試合が多かった。それでも、「モチベーションを高く維持するための準備などを覚えられたことが勉強になった」と前を向けたのは、常勝という環境に身を置いているからこその意識。
そんな男がこの年のオフ、7年ぶりに横浜の地へと戻ってきた。
チームは5年連続で最下位。多村自身、その現実に憂いもあった。
「大洋時代からずっとファンで、プロでも横浜に育ててもらいましたし。ホークスに行ってからも、横浜スタジアムでのオープン戦や交流戦になると、ファンの方たちがずっと『帰ってこいよ』と声をかけてくださっていたんで、ベイスターズのことはずっと気にはなっていたんですよね。だから、戻ってこられてよかったですよ」