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<越境フットボーラ―、再び> 廣山望 「第2の人生は、バルセロナから」
text by
豊福晋Shin Toyofuku
photograph byToru Morimoto
posted2013/03/04 06:00
日本を出て5つの土地を渡り歩き、
サッカーの旅を続けた越境者のパイオニア。
昨年アメリカでのプレーを最後に引退を決断した後、
次のステップとして選択したのはやはり海外だった。
スペインで指導者として研鑽を積む彼の下を訪ねた。
サッカーの旅を続けた越境者のパイオニア。
昨年アメリカでのプレーを最後に引退を決断した後、
次のステップとして選択したのはやはり海外だった。
スペインで指導者として研鑽を積む彼の下を訪ねた。
一冊の本や雑誌が、そのひとの人生を変えることがある。
地球上のあらゆる場所でプレーしてきた廣山望のキャリアに影響を与えたのは、ある一冊の雑誌だった。
「10代の頃、『ニューズウィーク』が好きでよく読んでたんです。僕が海外を渡り歩くことになったきっかけは、あの雑誌だった」
バルセロナ、ゴシック地区にある小さな広場に、廣山は約束の時間ぴったりに現れた。昨夏引退した彼は、この町で日本オリンピック委員会の海外指導者留学制度を利用し研修を受けている。午前には語学を学び、午後はユースの練習や試合を見学する日々だ。
現役時代に6カ国でプレーしてきた彼に、海外に目を向けることになったきっかけを聞くと、思い出すように話し始めた。
「はじめは、アラファトがイスラエルと和平協定を結びノーベル賞をもらったことに興味があったんです。それだけじゃなく、あの雑誌の中にはいろんな世界の情勢が載っていた。Jリーグのアウェー戦の移動の時なんかに読んでましたね。そしてあの頃のジェフにいた外国人選手には東欧の選手が多かった。モンテネグロ出身のマスロバルやルーマニア人選手たち。クラブの食堂で、彼らにユーゴ紛争やチャウシェスク政権崩壊について聞いたりしていました」