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<五輪、WBCで背負ったもの> 杉浦正則×谷繁元信 「日の丸の重みを語ろう」 

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石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

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photograph byHideki Sugiyama

posted2013/02/28 06:00

<五輪、WBCで背負ったもの> 杉浦正則×谷繁元信 「日の丸の重みを語ろう」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

五輪通算最多の5勝も、杉浦は記録に興味がなかった。

 日の丸を背負って野球をする姿勢――“日本代表のDNA”の伝道師として、もっとも象徴的な存在だった杉浦が大事にしてきた価値観だ。彼はプロにも行けたのにアマチュアに留まり、国際舞台の第一線で戦い続けた。バルセロナで銅メダル、アトランタでは銀メダル、シドニーでは4位。オリンピックで杉浦が挙げた通算5勝は、野球におけるオリンピックの世界記録である。

「5勝っていうのはいかにも少ない世界記録ですね(笑)。全日本では勝ち投手とか、何勝とかにまったくこだわりはなかったんで、それが世界記録だといわれても『ああ、そうですか』ぐらいの気持ちなんです。個人よりもチームってよく言いますけど、日の丸の重さって、自分への責任感に比例するんじゃないですか。

 バルセロナのときは社会人2年目で、無我夢中だった。アトランタでは経験者が自分だけだったので、何とかしなきゃという気持ちがとても強かった。その分、日の丸の重みを感じていたのかもしれません。さらに、アトランタで銀メダルを獲って次のシドニーでは、プロが入ってくることになりました。初めてのプロアマ混成チームでオリンピックを戦うということで、これも経験者だからという理由で選ばれて、チームをまとめなければという責任を負った。それぞれ責任感の所在地は違うんですけど、重みはどんどん増していったという感じがあります」

杉浦の頃の五輪とWBC日本代表の大きな違いは、チームを作る時間。

Masanori Sugiura
1968年5月23日、和歌山県生まれ。'91年、同志社大から日本生命入社。バルセロナ五輪で銅、アトランタではエースとして活躍し、銀メダル獲得。シドニー五輪に出場した'00年、現役引退。コーチを経て'06年から'09年まで日本生命監督。現在、総合法人第11部法人部長。

 オリンピックの日本代表が2004年のアテネからはオールプロになり、2006年からWBCが始まった。そして2012年のロンドンで野球はオリンピックの正式種目から外されてしまう。現在は、WBCがIBAF(国際野球連盟)の認める世界一決定戦だ。杉浦は現在のWBCについて、こう話した。

「WBCの日本代表を見ていて一番感じるのは、自分たちの時代の全日本とは、チームを作る時間がまったく違っているということです。チームにかける時間が違えば、チームへの思いも違ってくる。勝ったときの喜びはみんな同じだと思いますけど、負けたときの悔しさは人によってかなりの違いが出てくるんじゃないかと思うんです。

 日の丸を背負って負けた悔しさは、日の丸を背負わなければ晴らせない。僕はプロの経験がないのでここは想像の範囲ですが、プロとしてどんなにペナントレースで活躍しても、それではWBCで負けた悔しさは晴らせないとなれば、その思いをみんなが共有できるかどうか。その悔しさを持続できれば、次の4年という時間をかけて、今度こそ強いチームを作らなきゃ、というエネルギーになるはずなんです」

【次ページ】 出場機会が限られながらも、サポート役に徹した谷繁。

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