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<独占ロングインタビュー> 木村沙織 「1億円プレーヤーの決意」~世界最高峰リーグへの挑戦~ 

text by

吉井妙子

吉井妙子Taeko Yoshii

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photograph byShin Suzuki

posted2012/09/19 06:00

<独占ロングインタビュー> 木村沙織 「1億円プレーヤーの決意」~世界最高峰リーグへの挑戦~<Number Web> photograph by Shin Suzuki

セッターの竹下が「うそーっ」と驚いたほどの潜在能力。

 高校2年生で全日本メンバーに招集されて以来、ずっと日の丸を背負ってきた木村の前には、ブラジル、アメリカの2強だけでなく、ロシア、中国、イタリア、セルビアなどが常に大きな壁として立ちはだかった。'04年のアテネ、'08年北京五輪に出場するも、いずれも準々決勝で敗退。それが日本の実力だった。

8月11日、3位決定戦で韓国を破った。歓喜の瞬間、木村は真っ先に竹下佳江と抱き合った。

 大きく変わったのは、'09年4月に眞鍋政義が全日本の監督に就任してから。今やIDバレーがすっかり有名になったが、指揮官が最も力を注いだのが“選手の意識革命”だった。その象徴が木村である。

 全日本に初招集された頃から、底知れない木村の才能に誰もが驚いた。当時、故障した選手の代わりに急遽呼ばれたため、試合によってはピンチサーバー、レシーバー、セッター、ブロッカー、レフト、ライトと猫の目のようにポジションが変わったが、どれもヒョイとこなしてしまうのである。このころ、セッターの竹下佳江は目を輝かせながら新人選手の印象を語っていた。

「身長が高いとレシーブは苦手なはずなのに、『うそーっ、このボール上げちゃうの』という場面がたくさんあったんです。不思議に思って聞いてみると、小学生の頃からレシーブ練習をしていたと言うんです。なるほどね、と思った。ほのぼのしている割には、苦しいことにも耐えられる根性もあるんです」

 素直な性格も木村の成長の糧になってきた。竹下は付け加えた。

「私がちょっとリクエストしたり、助言したことを、あっという間に吸収していくんです。打つポイントをたくさん持っていて、手首の返しも速い。才能って凄いなぁと思いますね」

木村に欠けていたのは“自分の存在の大きさ”に気づく機会。

 しかし、当の本人だけが、自分の存在の大きさに気がつかないままだった。

 それも仕方がないと言える。国際大会でどんなに活躍しようが全日本では常に最年少、性格的にも人を引っ張るタイプではなかったからだ。それでも上手くなろうとする意思は人一倍強かった。

「私、努力ってしたことがないんです。出来ないことがあったら、出来るまで練習するのは当たり前。苦手なプレーは得意になるまでやる。でも、これって当たり前のことだから、努力とは違うでしょ」

 ホンワカした表情を一皮剥けば、バリバリのアスリートとしての顔を覗かせる。竹下が、木村を“苦しいことにも耐えられる選手”と評した所以だ。

【次ページ】 「何を言っているの?」と思った、眞鍋監督の言葉。

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