南ア・ワールドカップ通信BACK NUMBER
岡田ジャパンの理想形は潰えたのか?
攻撃的SB内田篤人、22歳の正念場。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byToshiya Kondo
posted2010/06/04 10:30
今年3月のバーレーン戦に出場した内田篤人。この時も本田圭佑の得点を演出している。岡田ジャパンが戦術的に非難されていた中にあっても、内田のプレーだけは認められていたのだが
「今は疲れを気にするより、サッカーをやりたいから大丈夫。若いので連戦は苦にならない。とにかく、たくさんサッカーがしたいから」
'08年1月、岡田ジャパンの発足と同時に抜擢された内田篤人は、毎日が楽しくてしょうがないといった様子でそう語った。まだ19歳だった右サイドバックの新星は、その後、「世界をアッと驚かせたい」と宣言した岡田ジャパンの象徴的存在となっていく。
当時は、A代表として戦うW杯アジア3次予選に加えて五輪代表チームとして参加する北京五輪も迫っており、しかも所属クラブの鹿島アントラーズではJリーグと並行してアジア・チャンピオンズリーグもあった。だが、過密日程を案じる周囲の声に対し、内田はいつも笑顔で「大丈夫、大丈夫」と返していた。
「鹿島に入ったときは体重が50キロ台だったけど、2年間で5キロ増えて、今は64キロになった。若いから成長するんですよ。でも僕は体より頭を使って頑張ってきた。まだ十代だし、ここで完成じゃない。5、6年先にはもっと大きくなっていたい」
原因不明の嘔吐により徐々に攻撃ができなくなった。
この当時は成長、向上していく意欲が何よりも勝っていたのだ。
岡田監督が「ボールの置き方に、今までの日本人にないものを感じる」と評したトラップと、スピードに乗ったオーバーラップを武器に、一気に右SBの定位置をつかんだ内田。中村俊輔、長谷部誠とのコンビネーションは抜群で、チャンスを量産するようになるのに時間はかからなかった。
とりわけ、ニアサイドに低く速く入れるアーリークロスは日本の攻撃パターンの中核となっていく。そして、クロスの質は、サイドバックにひしめいていた他のライバル勢を大きく凌いでいた。
ところが昨年からは、代表入りした頃のような鋭い切り込みがなかなか見られなくなってきた。試合中、原因不明の嘔吐にたびたび見舞われるようになり、徐々に、攻撃を自重するようになっていく。
「去年('08年)は騙し騙しできたけど、今年はそれができなくなった」とこぼしていたのもそのころだ。
完全復調したがイングランド戦でスタメンから外された!!
だがほんの最近まで、負傷や他の選手を試す意味合いのある試合以外は、常にスタメンに名を連ねていた内田である。「守備に不安がある」との声もわずかに聞かれたが、岡田監督の信頼は揺るぎないように見えた。
だから、余計に衝撃的だったのが先日のイングランド戦なのだ。
左太腿裏痛が既に癒えていたにも関わらず、最後まで内田に出番は訪れなかった。スイス入りしてからは通常の練習メニューをこなしていたにも関わらず……だ。