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<最速キングの苦悩に迫る> ウサイン・ボルト 「レジェンドは悪夢の先に」
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph byDPPI/PHOTO KISHIMOTO
posted2012/07/03 06:01
自ら理想とする「ウサイン・ボルト像」でがんじがらめに。
「オレは変わらない。周囲が変わっても、オレは絶対に変わらない」
北京五輪後に取材した際に、ボルトは何度もこう繰り返していた。まるで自分に言い聞かせるように。
今振り返ると、北京五輪での活躍を受けて取り巻く環境が大きく変わってしまったことに対して、戸惑い、自分も変わってしまうことに恐れを感じていたように思う。
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ボルトの口調は、それほど頑なだった。
それから3年。テグ世界選手権を迎えて、ボルトは気づかないうちに、自身の心の声に耳を閉ざしてしまった。
相次ぐ故障から思うように走れない焦りと不安。過度なほどの世間からの期待。スーパースターとしての役割。そしてプレッシャー。様々な要素がボルトの心を侵食していった。
加えて「伝説になるためには、勝たなければならない」と、自ら理想とする「ウサイン・ボルト像」を作り上げ、それにがんじがらめになっていた。
「調子は悪い。負けるかもしれない、期待しないでほしいんだ」
本当はそう言いたかっただろう。しかし世界の陸上を一身に背負う立場としては、許されないことだ。
悪夢のフライングから5日後、200m予選で見せた満面の笑顔。
100m決勝でのまさかのフライングから200m予選まで、4日間も日程が空いた。ボルトにとってはこれまでの陸上人生のなかで最もつらい4日間だった。
「これまでのように、もっとポンポンと走らせてほしい。(自分の走る日を待っているのは)精神的にきつかった」
2日近くかけてジャマイカからテグまで応援に駆けつけた両親に励まされれば励まされるほど、気持ちは沈んだ。一刻も早く走りたい、強いのはオレだと証明したい。そんな気持ちで一杯だった。
悪夢のフライングから5日後、ボルトは200m予選に姿を現した。観客から大きな拍手が送られると、今大会初のサンダーボルト・ポーズを決めるなどリラックスムード。フライングが頭に残っていたのかスタートは出遅れたが、走り出せばいつものボルト。余裕で組1位通過を果たすと、満面の笑顔をみせた。
翌日の決勝ではスタートからコーナーを攻める。直線に入った時には2位以下に2mほどの差をつけると、その後もドンドンと加速していき、19秒40という自己3番目の好記録でフィニッシュラインを駆け抜けた。