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<最速キングの苦悩に迫る> ウサイン・ボルト 「レジェンドは悪夢の先に」
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph byDPPI/PHOTO KISHIMOTO
posted2012/07/03 06:01
テグ世界選手権、異例の競技日程が組まれた理由とは。
ストックホルムでは200mに出場し、楽勝で優勝したが、20秒03という平凡な記録に終わった。そのためボルトの影響で出場料を低く抑えられている他国の選手たちからは、不平不満が続出した。
「その出場料をもらって20秒台かよ」
「オレたちは馬鹿にされている」
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「20秒台を出したのなんて久しぶり。がっかりしている」とボルトはコメントしたが、天候や体調にかかわらず常に勝利と記録の2つを期待され、そして要求されるのは、精神的に大きな負担になる。ベストな状態ならともかく、不調時は特にそうだろう。
テグ世界選手権の競技日程もボルトに大きなプレッシャーをかけた。
一般的に陸上競技の試合では4×400mリレーが大会のトリを飾る種目になっている。しかし、テグでは4×100mリレーが大会最後の種目となった。
競技日程の変更に関して、大会組織委員会や国際陸連から明確な声明はなかったが、ボルトの出場する種目を動かし、テレビ視聴者の注目を最後まで引きつけるための措置だったのではないかと推測できる。
この「ボルト・シフト」には選手はもちろん、関係者、報道陣からも「陸上の伝統に反する」などと不満が続出した。口には出さなかったが、「どうせボルトだけが見たいんだろう?」というニュアンスが彼らの言葉の端端に漂っていた。
A・パウエルらの欠場で、連覇が確実視されたテグ世界選手権。
ボルトは大会前から、結果を出さなければならない状況に追いつめられた。
優勝を後押しする材料もあった。100mで世界歴代2位のゲイは6月の全米選手権で準決勝を棄権し、不出場。同3位で今季世界ランク1位だったアサファ・パウエル(ジャマイカ)は大会直前に足の付け根のケガのために欠場を発表。世界ランク1~4位の選手が欠場となり、連覇は確実と思われた。世界ランク1~4位の選手が欠場となり、連覇は確実と思われた。
だが、大会前の記者会見でボルトに以前のような威勢の良さはなかった。ベルリン大会の際には、ゲイやパウエルというライバルに対して闘志を剥き出しにして、「勝つのはオレ。チャンピオンが誰か、決勝で皆わかるさ」と強気の発言を連発したが、今回は違った。
「今季はケガからの復帰のシーズン。速く走りたいという意識はあるけれど……。身体は戻ってきている感じがするけど、技術はもうちょっと。まだ100%とは言えないんだよね」と冴えない顔でボソボソと話すばかり。ここまでシーズン無敗とはいえ、満足できるレースがなかったことから不安の色が窺えた。
いつもの笑顔が戻ったのは、大会初日の予選後だった。
6組目4レーンに入ったボルトは、抜群のスタートを切るとそのまま大きなリードを奪い独走。70m以降はゆっくりと減速しながらフィニッシュしたにもかかわらず、10秒10という記録を出した。心配や不安を一掃する手応え十分の走りに、「思うようなレースができた。オレは世界記録保持者で今季は負けなし。それだけのこと」とボルト節が全開になった。満面の笑顔でスタジアムを後にした。
翌日の準決勝も同様で、実質的に走ったのは70mまで。余裕でフィニッシュラインを切る。ボルトの連覇を疑う者などいなかった。