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“日本的GM”とはどうあるべきか?
巨人・横浜の騒動で考えるGM像。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byShiro Miyake(L)/KYODO
posted2011/12/12 10:30
12月5日に横浜DeNAのGM就任会見を行なった高田氏(写真左)。清武球団代表(当時/写真右)が開いた緊急会見が巨人“お家騒動”の発端となった
「これはメジャーのGM制度とはちょっと違うと思う」
巨人にGM制度が導入された今年の6月、原辰徳監督がこう説明していたのを覚えている。
実は巨人にGM制度導入を提案したのは、原監督だった。
「現場は24時間、勝つため、チームを強くするためにすべてを捧げている。だとしたらフロントにも24時間、チームを強くするために編成のことを考えてくれる人がいてもいい。そのためにはGMというものが必要じゃないか、ということです。それはあくまで現場とフロントが一体となって、チーム作りをするための制度だということ。だからメジャーのGMとはちょっとニュアンスが違うと思います」
もともと巨人は清武英利元代表が編成本部長を兼ね、チーム作りも主導的に行なってきた。ただ、代表職として編成だけでなく連盟関連の仕事から営業まで、その業務が多岐に渡り、年間を通して編成に集中できない、というのも現実だった。
そこで現場と一体となってチーム強化のための編成業務を専門に行なう立場の人間を作る、という趣旨でGM制度を設けたわけだが、名称を「GM」としたことで悲劇は起こったのかもしれない。
巨人の“お家騒動”の発端はGMに対する見解の相違だ。
編成のすべてを掌握するメジャー的なGM制度ではなく、現場の監督とフロントが相談しながら編成業務を進めていく。
その長たるものの名称としてのGM――。
確かに巨人の場合はGM制度を導入したといっても、清武前代表はGM兼任で代表職は残ったままだった。もちろん職能による契約をしたわけでもない。しかも代表兼オーナー代行の役員として、評価する側と評価される側を兼任したような立場だったわけだ。GMといえども、フィールドマネジャー(監督)とは決して同列ではなく、きわめて中途半端なポジションだった。
それをもって原監督は「メジャーとはちょっと違う」と言ったわけだが、その点の理解の違いが後に起こる“お家騒動”の、一つの要因にもなるわけである。