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最後の仕事に励むペニーの輝き。 

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小尾慶一

小尾慶一Keiichi Obi

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photograph byIssac Baldizon/NBAE via Getty Images/AFLO

posted2007/12/03 00:00

最後の仕事に励むペニーの輝き。<Number Web> photograph by Issac Baldizon/NBAE via Getty Images/AFLO

 シーズン開幕から、約1ヶ月が過ぎた。セルティックスは、ビッグ3(ガーネット、アレン、ピアース)の活躍でリーグトップの成績。スーパースターのレブロン・ジェームズも、得点王レースを突っ走っている。

 そうした華やかな話題は、ひとまず置いておこう。ぜひ、注目してほしい選手がいる。ヒートのアンファニー・ハーダウェイだ。

 ニックネームは、「ペニー」。90年代半ばに、NBAの頂点に限りなく近づいた選手である。当時、20代前半だったペニーは、アンストッパブルなPG(ポイントガード)だった。201cmのサイズに、すさまじい運動能力とスピード。オールラウンドな技術。観客を熱狂させる、華のあるプレー。勝敗を決める大事なシュートを託したくなる、そんな選手だった。

 新聞・雑誌は、こぞってペニーの特集記事を組んだ。彼をモデルにしたバスケットシューズも、売れに売れた。マイケル・ジョーダンの後継者と目された選手は数多いが、ペニーほど真剣に、切実に、跡継ぎを期待された者はいないだろう。ジョーダンとのプレーオフ対決は、素晴らしく優雅で、エキサイティングなイベントだった。

 どれも、昔の話だ。

 ペニーは、今年、36歳。ベテラン最低年棒で契約したヒートで、控え選手としてプレーしている。背番号は、彼の代名詞だった「1」ではなく、「7」。登録ポジションは、ガード/フォワード。PGをプレーすることは、ほとんどない。平均得点は、4点台である。

 それでも、プレーできるだけ良い。長い間、彼はNBAのコートにすら立てなかったのだ。

 ドラフト3位でマジックに入団したのは、93年。翌年、23歳のとき、ペニーは大ブレイクする。平均20.9点、7.2アシスト、フィールドゴール率も50%を超えた。オールスターに先発出場を果たし、NBA1stチームにも選出。プレーオフでは、チームメイトのシャキール・オニールと共に、ジョーダンのいるブルズを撃破。ファイナルへと駒を進めた。

 翌シーズンは、さらなる飛躍を遂げた。成績をさらに伸ばし、2年連続でオールスター先発出場とNBA1stチーム入り。プレーオフでも、攻守に大活躍。カンファレンス決勝でブルズに敗れたものの、ジョーダン級のインパクトを残した。オフには、アメリカ代表の一員として五輪に出場。金メダルを獲得した。さらに、スターの座を奪われたオニールがマジックを去ったため、ペニーはチームの絶対君主に。96年の夏のことである。

 96−97年シーズンの開幕戦は、日本で行われた。自信満々で来日したペニーは、想像もしなかっただろう。そのときが、自分のピークだということを。

 まず、緩やかな下り坂が。次に待っていたのは、深く、暗い穴だった。

【次ページ】 失意と混乱の中の希望。

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