野球クロスロードBACK NUMBER
「億」の重みを存分に伝える、
“熱い男”山崎武司のプロ意識。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2010/01/05 10:30
今季は100打点を超えており、41歳にして、門田博光、タフィ・ローズ、金本知憲らが持つ40歳100打点の記録を塗り替えた。39本塁打107打点と両部門でパリーグ2位という活躍ぶりも光る
引退の決意を翻し、オリックスから新天地の楽天へ。
山崎のプロ野球人生における最高年俸は、1億2000万円で1度、終わっている。
オリックス2年目、’04年の山崎は出場機会の激減に加え首脳陣との軋轢も囁かれ、野球に対するモチベーションがゼロになった。
二冠王に輝いた’07年、彼は豪放磊落な性格そのまま、オリックスから離れた当時の気持ちを話してくれた。
「なんか、このまま野球を続けても『人間がダメになる』って思ったんですよね。だったら辞めて家族と楽しい時間を過ごそう、と」
シーズン途中にあっさりと引退を決め、家族や親、知人にも早々と「辞めます」と伝えたという。西武の松坂大輔が6年目にして「2億円プレーヤー」となった年の話である。
それが一転、現役続行を決めた。理由は大きくふたつ。ひとつは息子から「パパ辞めないで」と何度も懇願されたから。ここで引退の意志が大きくぐらつき、新規参入の楽天初代監督・田尾安志から「若手もベテランもない。君が必要だ」と熱心に誘われたことで、現役を続けることを決意した。
移籍3年目には二冠王に輝き、山崎のなかで何かが変わった。
移籍初年度の年俸は、前年の半分以下である5000万円だった。それから3年目には二冠王にも輝いた。翌'08年シーズンには、年俸が自己最高額となる1億9200万円にまで到達した。
39歳で二冠へと飛躍。
若い頃は技術とプライドで金を稼いできたかもしれないが、それも薄れてきているのだろうな、そう感じさせたのが二冠当時の発言の中にあった。
「僕はホームラン王と打点王を獲らせてもらいましたけど、仮に『これであと2、3年はやっていける』なんてね、そう思っている人がいたとしたらほんっとめでてぇことだな、って。来年ダメなら辞める。楽天に入ってからそう思ってやっています」
勝手に解釈すれば、今シーズンまでの山崎は、年俸よりもむしろ引退を撤回してまで移籍した“意地”に執着していたのではないだろうか。
それが、来季からの2年契約を結んだということは、少なからず彼のなかで何かが変わった、と判断するのが自然なことだろう。「次の年がダメなら」という意識のままであれば、1年契約でもよかったはずだからだ。