北京五輪的日報BACK NUMBER
日本サッカーと五輪。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJMPA
posted2008/08/20 00:00
取材の内輪話をひとつ。
五輪の取材をするには、専用のIDが必要になる。国際オリンピック委員会から各国の五輪委員会に割り当てがあり、さらに五輪委員会からテレビ、新聞社などに割り当てられる。
基本的に、IDを持っていればどの競技の会場にも入れる。
だが例外がある。IDに加え、特別に配布されるチケットがなければ会場に入れない競技もあるのだ。このチケットを「ハイデマンドチケット」という。
このシステムが存在するのはなぜか。
五輪の取材に訪れる取材者の総数は、北京の場合約2万人。すべてが記者ではなく、カメラマンも、テレビの技術スタッフも含まれる。だとしても、記者の人数は相当におよぶ。
もし、その記者がある会場の試合に押しかけたら、パンクするのは必須である。そこで取材記者数をコントロールするために、競技によってはチケット制としているのだ。
ちなみに、新聞や雑誌記者の場合、チケットがなければ入れないのは、開閉会式、競泳決勝、バスケットボール男子決勝。テレビやラジオの場合は、左記に加え、陸上が対象となる。
今回は競泳の割り当てが少なかった。たとえば10名の記者を派遣している新聞社の場合、チケットは2名分といった具合だった。
「僕は競泳見られないんですよ」と嘆く声を聞いた。
というわけで、入場できる記者の数は会場の記者席の規模に見合うようにコントロールされているわけだが、思わぬ事態も起き得る。
19日に行なわれた、サッカー男子の準決勝、ブラジル−アルゼンチン戦がそうだった。
陸上の取材にあたっていたために、サッカー会場には行けなかったが、知人の記者によると、この試合には、運営側の予想を超える記者が訪れた。あっというまに記者席は埋まり、「入れろ」「もう入れません」の押し問答が相次いだという。
陸上から戻り、プレスセンターのモニターで試合を観ていたが、メッシやリケルメらのアルゼンチン、ロナウジーニョのいるブラジル、両者の対決をじかに観たいという各国の記者の気持ちはわかる。
試合はアルゼンチンの完勝に終わった。金メダルを懸けた真剣勝負を観ていて、ふと思ったことがある。日本は、どこを目指して五輪に出場していたのか、と。
若手を育てるための経験の場だったのか。結果を求めていたのか。どうもあいまいに思えてきたのだ。
アルゼンチンやブラジルなどを観てしまうと、結果を追求するにしては、オーバーエイジ枠の問題もそうだし、取り組みが杜撰であったように感じる。
では経験の場だった? もしそうであれば、もったいないことだ。サッカーという競技の今後を考えるのであれば。
日本では、サッカーの人気はまだ確固としたものではないと思う。であれば、五輪という日本の多くの人が注目する大会で活躍する、好成績を残すことは、もっと幅広く認知してもらうために、強固に根付かせるために、大切なことだったのではないか。
そもそも選手が成長するのは、真剣に、どこまでも真摯に勝利を追い求めて戦ったときだ。
だからこそ、五輪に出場したサッカーの日本代表はもったいなかった。
ブラジルとアルゼンチンの中継を観ながらそんなことを考えた。