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日本シリーズ2三振の中田翔に、
来シーズン爆発の予兆を見た! 

text by

氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

PROFILE

photograph byTamon Matsuzono

posted2009/11/11 12:40

日本シリーズ2三振の中田翔に、来シーズン爆発の予兆を見た!<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

 日本シリーズ第3戦。代打で出場した中田翔が最後のバッターになった。

 三振だった。

 日本シリーズ第4戦。二日続けて中田は代打で出場した。

 また三振だった。

 一軍にはまだ早い。ましてや、日本シリーズの大舞台など、踏むべき選手ではない。そんな声が聞こえてきそうだった。確かに、三振という結果だけで彼を評価すれば、そう思うのは当然だろう。

 しかし、鳥肌が立った。

 なぜなら、あまりに変貌した中田を見たからだ。今年のレギュラーシーズンで記録した15の三振と同じには思えなかったのだ。

 定まらなかったグリップの位置を、意識的に固定させてから投手を向いて、どっしりと構える。ストレートに詰まることを怖れず、なおかつ外角のスライダーに対応する。これほどまでに中田は成長を遂げていたのか……。

 改めて、中田ほどバッティングフォームが様変わりしてきた選手はいないと思う。いや、様変わりではない、バージョンアップといった方がいいかもしれない。高校時代から思い返してみても、時を経るほどに、中田はそのバッティングの形を変え、成長してきたのだ。

高校1年時のバッティングは「ピッチングのついで」だった。

 高校1年夏、甲子園の左中間スタンドに特大の本塁打を叩きこんだ中田のバッティングフォームは自由気ままだった。オープンスタンスで構え、スイングは右肩を下げバットが出しやすいアッパー気味。技術的な意識の感じられない気ままなフォームだった。

 当時、中田は投手。登板がない時は内野を守ったが、彼が持っていたのは投手としての意識で「投手として目立ちたい」と、当時の中田はよく言っていたものである。

 その意識はMAX151kmを計測した高校2年春になっても変わることはなかった。高校生としては高水準のクイック、素早いけん制やフィールディングなど、高校生投手としてトップレベルにいた中田にとって、バッティングは「ピッチングのついで」でしかなかった。

 それがこの春の間に右ひじを故障すると、中田はバッティングへ真剣に取り組むようになり、フォームへの意識を強く持つようになった。高校2年夏、大阪府大会で4試合連続5本塁打の記録を引っ提げて、甲子園に出場。1回戦の横浜戦ではセンターバックスクリーン横に飛び込む特大の本塁打を放った。

 この時、中田のバッティングフォームは左足を大きく上げるフォーム。右足に体重を乗せて、力を蓄えボールにぶつけて飛ばすというものだったが、このリスキーなフォームは2回戦の早実・斎藤佑樹の研ぎ澄まされた投球術によって欠点が浮き彫りになった。

斎藤佑樹に敗れフォームを改造し、高校通算HR記録を樹立。

 そこから、中田はフォームの見直しを繰り返した。2年秋から3年春にかけてスリ足に変え、オープンスタンスもやめた。結果が出始めたのに、夏にかけてまたスリ足を一本足に戻した。「スリ足にしていたのは体が前に突っ込むからなんです。でも、今は、一本足にしても前にいかなくなった。遠くへ飛ばせるのは一本足なので、こっちに変えました」と中田はさらなる上を目指した。

 同年7月5日、中田は高校通算本塁打記録となる87本塁打を樹立。フォームの改造を繰り返し、さらにはメディアからの期待やプレッシャーを乗り越えての、偉業達成だった。最後の夏は甲子園出場を果たせなかったものの、それまで繰り返してきたフォームへの取り組みが、彼の大きな糧となった。

【次ページ】 プロ入りしてフォーム改造。手首の故障に悩んだ1年目。

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