プロ野球亭日乗BACK NUMBER
選手の運命を変える頭部死球――。
高橋信二は巨人で復活できるか?
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2011/05/17 10:30
5月10日、巨人入団会見に臨んだ高橋は満面の笑顔。翌11日の横浜戦に代打で登場したが、巨人での初打席は遊ゴロに終わった
「それは無関係だと思っています」
今は巨人のスカウトをしている井上真二さんは、こう首を振った。
熊本工からドラフト5位で巨人に入団した井上さんがブレークしたのは、入団5年目の1989年だった。
開幕から本塁打を量産して右翼のレギュラーに定着。オールスター出場も果たした絶頂のときに、阪神のマット・キーオ投手から左側頭部に死球を受けた。そのまま救急車で病院に運ばれた井上さんは、その後もめまいなどの症状が治まらなかったために登録を抹消され、再登録後も一軍に定着することはできなかった。
イースタンで2度の本塁打王を獲得するなど、長打力には定評があった。一軍でもその力の片鱗をみせたが、結局は一軍通算16本塁打という数字だけを残してユニフォームを脱いでいる。
「あのデッドボールがなければなあ……」
後に筆者がそうつぶやいたときに、井上さんが静かに冒頭の言葉を返してきたのが、印象に残っている。
優勝の立役者である“つなぎの4番打者”を日ハムが放出した理由。
なぜ、この話を思い出したかというと、5月9日に日本ハムの高橋信二捕手が巨人へと金銭トレードされたからだ。
高橋は2009年に日本ハムがリーグ優勝をした年には“つなぎの4番打者”として、リーグ優勝の立役者の一人として活躍した。ツボにはまれば一発長打もあるし、右に流せる器用さもある。右打者の補強を狙っていた巨人にしてみれば、願ったりかなったりの選手だったわけだ。
だが、だ。
そんないい選手がなぜトレードで出されたのか?
そこには頭部死球があった。