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アンドレス・イニエスタ 「恥ずかしがりやの天才」
text by
横井伸幸Nobuyuki Yokoi
posted2006/12/21 22:57
「難しい決断だった。でもバルサに入ること自体が新しいチャレンジだったし、行けば上手くなれると思ったから。僕の村を含めアルバセテの方はマドリーファンばかりだけれど、村の人は皆、僕の成功を祈ってくれた」
マシアでの最初の日々について聞くと、イニエスタは「大変だった」としか言わない。だが、実際は“とても”大変だったらしい。
母親の声を聞くと泣き出してしまうため、初めの2週間は家に電話もできなかったり、本気で帰りたいと願ったり。アルバセテからやって来た天才少年を取材しようとした新聞記者は、マシア関係者から「両親の話は絶対にするな。落ち込むぞ」と警告されたそうだ。
一方、ピッチの上では全てが順調だった。誰よりも優れた才能で瞬く間にチームメイトを感服させると、彼らをリードしていった。監督たちからは、バルサが伝統的にチームの肝と考える“4番”のポジション(中盤の低い位置)を与えられ、ゲームの指揮の全てを任せられた。
「ずっとパサーだった。それが僕のサッカーだった。仲間のゴールをアシストしたときは、本当に嬉しいんだ。自分で決めたときも勿論そうだけれど、カテゴリーが上がるにつれ、得点するのは難しくなっていったからね」
難しくなったのは、カテゴリーを駆け上がるイニエスタのスピードが速過ぎたせいかもしれない。なにしろ12歳を中心とするインファンティルAから、20歳以上が大半のバルサBまで、カテゴリーにして8つをたったの4年でクリアしてしまったのだ。
そして2001年2月5日。籍はBチームに置いたまま、トップチームの練習に初めて参加し、冒頭のグアルディオラの言葉を聞くことに……。
「グアルディオラは、本当にああ言ったんだ。良い意味でショックだった。僕にとって彼は、ピッチの中でも外でも見習うべき鑑。そんな人があんな風に言ってくれたんだから、信じられなかった。
練習は緊張したね。憧れのグアルディオラの他にも、リバウドやクライファートが目の前にいるんだ。感動した。何も言えなかった。でも、すごく幸せな一日だった」
以後、Bチームで試合に出ながらトップチームで練習するようになったイニエスタは、翌シーズン12月、エスパニョール戦で初めて1部リーグのベンチに座った。
次のシーズンにあたる2002年10月には、チャンピオンズリーグのブルージュ戦で初めてトップチームのピッチに立ち、およそ1カ月後、マジョルカ戦でリーガデビューも飾った。
「どんな状況からでも何かを学ぶものだけれど、チームの調子が悪いときはより多くを得られると僕は考える。トップチームでデビューしたファンハール監督の時代、バルサは酷い状態にあった。去年も大事な試合にたくさん出て多くを学んだけれど、あの時期、僕は大きく成長したと思う」
Bチームとトップチームの間で宙ぶらりんになっていたこの頃、レアル・マドリーがイニエスタに誘いをかけたという話がある。今年の夏も、レアル・マドリーの会長選挙に立ったある候補が、イニエスタ獲得を公約に掲げていた。
そのことに触れると、彼は柔らかな笑顔のまま、しかし毅然として言った。