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久保竜彦「サムライの流儀」
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
posted2004/06/03 00:00
試合後、チェコ人記者が久保竜彦を取り囲んだ。もちろん日本語を話せるチェコ人の通訳が用意されている。チェコ人記者が、不思議そうに聞いた。
「ゴールしましたが、何か秘密の作戦があったのですか?」
4月28日、チェコ対日本戦後のことである。久保は前半に先制ゴールを決めて、それがそのまま決勝ゴールとなった。チェコ人記者は、まさかチェコが負けるとは思っていなかった。メンバーは完全にレギュラーで、その上プラハで行われるホームの試合であり、何より相手は「アイスホッケーが弱い」という印象しかない日本である。だから記者は考えた。日本にはチェコを倒す何か秘策のようなものがあって、だから得点できたのだ、と。“久保の得点”というよりは、“ 日本のチームとしての得点”というように、チェコ人たちは考えていた。
久保は通訳された質問を聞きおえ、少し間をおいて、いつものように答えた。
「いや、特に何も考えていなかったです」
通訳歴30年を超えるチェコ人通訳も、これほど言葉を伝えるのに苦労するのは初めてだったという。インタビューは記者の期待を完全に裏切って、素っ気無くおわった。おそらくチェコ人記者には、久保のゴールより、その特異なキャラクターの方が強くインプットされたに違いない。
この試合、チェコは「3バックをテストする」という課題を持ってピッチに立った。オランダやドイツが2トップで来たときに、3バックで対応するという策をブリュックナー監督は考えたからである。だが、久保のゴールによって、監督の試みは見事に失敗におわった。日本相手にでさえ抑えられない。おそらくチェコはEURO本番で3バックを採用することはないだろう。収穫は「3バックはダメだ」ということがわかったことだけ。チェコの選手にとっても、マスコミにとっても、何とも意味を見出しにくい親善試合となった。
だが日本にとっては、チェコにアウェーで勝つということには大きな意味があった。ヨーロッパと日本では親善試合の持つ“重み”と“意義”が違う。ヨーロッパの国は、強豪相手の真剣勝負の場が多くあるが、アジアの辺境に位置する日本にとっては親善試合でしかそれを実現できない。親善試合を軽視しては、代表の強化ができなくなるのが現状だ。相手が“親善試合モード”だったとはいえ、これまでやってきたことが間違っていないという確認はできた。
何より日本にとっては、久保竜彦というストライカーが本格的な覚醒を遂げた試合として後々記憶されることになるのかもしれない。昨年の横浜F・マリノス対ジュビロ磐田の決勝ヘディングゴール、W杯アジア予選オマーン戦のロスタイムのゴール。横浜に移籍してからというもの、久保は大事な場面で得点を取り続けている。この東欧遠征の1試合目、ハンガリー戦でもゴールを決めた。そんな流れの中で、チェコというEUROの優勝候補を相手に得点を挙げたのだから、日本代表の新エースとして期待したくなるのが自然だろう。
しかし、一方で久保には一貫して“粗削り過ぎる”印象がある。現在の日本サッカーの生命線は中盤にある。誰を起用するかは別として、中田英寿、小野伸二、中村俊輔と優れたパスを出せる人材が豊富にそろっており、日本が世界のトップレベルに近づきつつあるのはMFだけだ。彼らのパスワークについていき、彼らの流れを切らないテクニックを持っているかとなると、やはり高原直泰と柳沢敦の方が久保より勝っている。
それでも日本のサッカーファンの間では、時にアフリカ人にもなぞらえられる、久保の並外れたフィジカルに希望を託す声が根強い。ヨーロッパの頑強なDFとのぶつかり合いにも、久保なら勝てるかもしれない。
EUROの優勝候補にもなっているヨーロッパの強豪のひとつ、チェコの選手たちは久保というストライカーをどう見たのだろうか?― 久保への期待は幻想で、ヨーロッパで活躍する選手にとっては取るに足らないストライカーなのだろうか?
対戦したチェコ選手の証言を集めて、久保の実像に迫った。
「クボは、一瞬で何かを起こすタイプだ」
まずはチェコ代表で10番を背負う司令塔のロシツキを訪ねた。ブンデスリーガ一のパッサーの目に久保はどう映ったのだろう。『ナンバー』の久保特集のページを開き、写真を見せながら聞いてみた。だが、残念ながらロシツキは久保のことを覚えていなかった。
「試合後、選手の間ではイナモトとかGK(楢崎)のことは話題に出たけどね。そのFWのことは覚えていないや。だってあの試合、日本は守備しかしてないだろ?」
今季のチャンピオンズリーグで奇跡のグループリーグ突破を果たしたスパルタ・プラハのGKブラゼクも意見を同じにする。
「私は後半から出場したけど、そのFWの印象はほとんどない。まるで一足早いバカンスを取っているかのように暇だったからね」
確かに前半の日本はボールがよくまわりチェコを苦しめたが、彼らはそれを「日本が優れているから」とは考えず、「3バックがダメだから」だと思っている。実際、後半チェコがいつもの4バックに戻したら、日本は防戦一方になってしまった。印象に残っているのが、稲本潤一やGK(楢崎)のことは話題に出たけどね。そのFWのことは覚えていないや。だってあの試合、日本は守備しかしてないだろ?」
しかし、証言を集めるうちに、ある選手たちは久保のことをはっきりと覚えていることがわかってきた。久保とマッチアップし、衝突し、肌を擦り合わせた選手たちは、鮮明に久保のことを記憶していたのである。
後半から出場した守備的MFのティーチェ(1860ミュンヘン)は、久保のプレーに思わず苦笑いしてしまったという。
「ハーフタイムの間、ブリュックナー監督から『日本人は小さい。長身のロクベンツにロングボールを集めろ』という指示が出たんだ。ロクベンツの身長は2m近くあるからね(196?)。でも気がついたら、日本がクボにロングボールを集めていたんだ。それでクボがヘディングに勝っている。自分たちがやろうとしていることをやられてるんだから、苦笑いしてしまったんだ」
ティーチェは守備的MFとして、久保のカウンターが気になってしょうがなかった。空中戦のほとんどに勝つ上に、足も速い。
「彼は恐ろしい跳躍力をしていたよ。まわりの日本選手のサポートがなかったから、結果的に攻撃としては繋がらなかったけどね。だからGKブラゼクとしては、あまり怖さがなかったんだと思う。でも、直接彼に当たっているこちらとしては、クボの存在に常に注意を払っていなければいけなかった」
その競り合いの主な相手となったのはDFのウィファルシだった。ウィファルシはハンブルガーSVに所属する高原直泰の同僚である。日本のトップストライカーの実力は十分に知っているはずであった。さらに彼はACミランやアーセナルが獲得を狙う逸材だ。真剣勝負からは一線引いた親善試合といえど、そうそう簡単に競り合いで負けるはずがない。だが、ウィファルシは久保のダイナミカルな動きに悩まされ続けた。
「タカは90分間で勝負するFW。それに対してクボは、一瞬で何かを起こすタイプだ。スピードがあり、空中戦に強い。間違いなく日本でトップレベルのFWだと思う」
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