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山本“KID”徳郁 神の子、再臨。 <前編> 

text by

松井孝夫

松井孝夫Takao Matsui

PROFILE

photograph byTakuya Ishikawa

posted2009/05/14 11:00

山本“KID”徳郁 神の子、再臨。 <前編><Number Web> photograph by Takuya Ishikawa
長い不在の間も、その強烈な存在感が薄れることはなかった。
停滞する日本格闘技界が復活を待ち望んでいた、“格闘技の神の子”。
負傷を乗り越えて帰ってきたKIDは、先に何を見ているのか。

 約1年半ぶりに、“神の子”が復活する。右足靭帯断裂という、選手生命すら危うい大ケガを乗り越えた山本“KID”徳郁は、5月26日に行われる『DREAM9』のリングに立つことが決まった。

 その1年半、総合格闘技の世界では、PRIDEの流れを汲む『DREAM』や『戦極』という新しいメジャー団体が立ち上がり、柔道金メダリストの石井慧が総合格闘家へ転向するなど、話題は豊富にあった。

 だが、それをもって「充実していた」といえない状況であったのも事実だ。埋められない大きな空洞、それは“格闘技の神の子”KIDの不在ではなかっただろうか。

 いつもわれわれの予想を超えた勝ち方をする、圧倒的なスター性を持った選手。日本総合格闘技の希望の星が、ケガとの戦いの様子、復帰戦への意気込みを語ってくれた。

足が不自然に曲がり“ボゴーン”って音がした。

――昨年7月、出場を予定していた『DREAM5』の直前に、「右ヒザ前十字靭帯断裂」という大ケガをしました。その時の状況を教えてください。

「それまで、ものすごく調子が良かったんですよ。何も怖いものがないくらい。どんな野郎が相手でも、一瞬で(試合を)終わらせる自信があった。調子が良いまま、試合の4日前までスパーリングをバンバンやってたんですよ。それで飛びヒザ蹴りをやって、着地したときに、足が不自然に横に曲がって」

――それで、ブチッと。

「ブチッどころじゃなくて、“ボゴーン”って感じの音がした。それで、『ああ、やっちゃった……』って」

――それほどの感触だったら、次の試合は出場できそうにないとすぐに悟りますね。

「うん、確実に。でも、そんなに大きなケガだと思わなかったんですよ。今回はちょっとヤバいな、次の試合はいつになっちゃうのかな、くらいに思ってた。それで病院に行ったら、『前十字靭帯が切れてるから、すぐに手術が必要だ』って言われて、『なんだ、それ』ってね(苦笑)」

――痛みはかなり。

「痛いのは痛いっすよ。でも、叫んだりしたらもっと痛くなりそうだったから、とりあえず落ち着こう、と。痛みよりも、この先のことが気になった。いつ治るのか、試合はできるのか、そういうことに意識がいった」

足に力が入らない。まるで自分の足じゃないみたいだった。

――靭帯断裂という、選手生命に関わる可能性のある大きなケガなのに、かなり客観的に見ていたんですね。

「一人になったときは、やっぱり落ち込みますよ。『大丈夫か、俺』って」

――常にポジティブに考えるKID選手でも、さすがに落ち込みましたか。

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「単純に、練習ができないから。練習ができないと不安になってくる。今までの健康な体じゃなくなったから。強くなるために鍛え続けてきたのに、ケガをしたら普通の人よりも弱くなる。今までずっとプラスの状態だったのが、一気にマイナスになったんだし。何しろ、歩けないわけだからね」

――強かった自分が突然、弱くなったというショックが。

「いきなり普通の人、老人よりも下になるんだから。強さのメーターが低くなることが許せなかった。『何やってんだ』って、(気持ちが)落ちたね」

――手術はいつ頃でしたか。

「8月1日。入院期間は1カ月半くらい」

――さすがに長いですね。

「夏休みの時期ですよ。手術が終わって目が覚めたら、ちょうど花火大会の日と重なってて、派手な音が外から聞こえてくるんです。麻酔がまだ残っていて、ボーッとしながら痛みでウンウン唸っているときに、まるで祝うみたいに花火がポーン、ポーンって上がってるのが見えた。それが病室からよく見えたけど、すぐにカーテンをシャッと閉めましたよ。もう悔し涙(笑)」

――ドン底の気持ちは、どれくらい続きましたか。

「手術して1カ月くらいはずっと落ちてた。足が動くようになってくると、だんだん気持ちも上がってきたけど」

――リハビリは順調でしたか。

「最初は大変だったな。力が入らないから。まったく動かなくて、まるで自分の足じゃないみたいだった」

――そこから徐々に動かしていった。

「本当、徐々にですね。自由に曲げることもできなかったから、ゆっくりと動かしていった。足もすごく細くなって……。鍛えないと、筋肉が落ちるのは早いね」

――復帰への不安は。

「復帰できるっていうのは分かってたけど、それまでの時間がどのくらいかかるのか計算できない。それに完治する前に、またバチンとやっちゃわないかとか。いろいろと不安はあった。手首の骨も折れてたから、それも同時に治すことになったしね」

メンタル面も含めて、ケガをしてさらに強くなった。

――'07年9月に開催された『HERO'S 』のビビアーノ・フェルナンデス戦で左手首を骨折したとか。

「いや、ビビアーノ戦の1週間前、スパーリングをしてた最中ですよ。俺、いつもスパーリングでやっちゃうんだ。気持ちが昂ぶってるから、バンバン行くじゃないですか。それで『バキーン』って。手首の出っ張った骨(豆状骨)が折れてたけど、1年くらい気付かなかった」

――それは気付かなかったんですか。

「いや、すごく痛かったんだけどね。出っ張った骨の辺りがテニスボールくらいの大きさに腫れてたし。手を床につけることができないから、スパーリングではバランスをとるために、手じゃなくてヒジを床につけて支えてた。あとは片手で練習してましたね。痛めた直後に病院に行ってレントゲンを撮ったんだけど、医者には大丈夫だって言われたんです。そのときは分からなかったみたいで」

――ビビアーノ選手はブラジリアン柔術家で、KID選手にとっては相性が悪いのではという声も多かった。ケガを抱えながら、よく勝ちましたね。

「本当は痛かったから、試合には出たくなかった。相手は寝技が得意な選手だし、こっちは打撃が使えない。でも、もし両手が使えてたら余裕で倒してたよ。ビビアーノがDREAMで勝ち上がってきてくれて、また俺と当たれば、今度は余裕で倒すね。もう前の俺じゃないから」

――ケガも克服して、だいぶ自信も戻ってきましたか。

「歩けるようになって、練習もできるようになってくると、自然と自信を取り戻してきた。今までいろんなケガをしたけど、ケガするたびに調子が良くなっていくってこともある。それに、あれだけの痛みを味わって、それを克服したわけだから、メンタル的にも強くなったのかもね」

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