#645

記事を
ブックマークする

人生“九転び十起き”。近藤貞雄、逝く。

2009/03/08

 希代のアイデアマンがまた逝った。中日、大洋(現横浜)、日本ハムの監督を務めた近藤貞雄。昨年末に他界した仰木彬の後を追うように、年が明けた1月2日、鬼籍の人となった。

 '82年、中日を率いてリーグ優勝を果たしたときは、「野武士野球」を標榜した。「名古屋を支配したのは公家でも武家でもない。野武士の文化だ。だから何をやってくるかわからない野武士野球が合う」というのが近藤の持論だった。今でこそ当たり前だが、中継ぎ、抑えという投手の分業制を初めて実践し、攻撃を仕掛ける前半と、守りで逃げ切る後半で、メンバーをガラリと替えるアメフト方式を本気でやろうとしていた。そんななかから牛島和彦という名ストッパーも生まれた。

会員になると続きをお読みいただけます。
オリジナル動画も見放題、
会員サービスの詳細はこちら
特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

0

0

0

前記事 次記事