希代のアイデアマンがまた逝った。中日、大洋(現横浜)、日本ハムの監督を務めた近藤貞雄。昨年末に他界した仰木彬の後を追うように、年が明けた1月2日、鬼籍の人となった。
'82年、中日を率いてリーグ優勝を果たしたときは、「野武士野球」を標榜した。「名古屋を支配したのは公家でも武家でもない。野武士の文化だ。だから何をやってくるかわからない野武士野球が合う」というのが近藤の持論だった。今でこそ当たり前だが、中継ぎ、抑えという投手の分業制を初めて実践し、攻撃を仕掛ける前半と、守りで逃げ切る後半で、メンバーをガラリと替えるアメフト方式を本気でやろうとしていた。そんななかから牛島和彦という名ストッパーも生まれた。
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