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「配置転換のとき、新井さんが…」栗林良吏が振り返る“苦悶”と“誇り”の2025年シーズンと先輩への感謝「ザキさんがいてくれたから」《広島カープ連載「鼓動」第11回》
礼節の人だ。栗林良吏は、スタジアムに到着してグラウンドに足を踏み入れる際、必ず帽子を脱いで深々とお辞儀をする。マウンドへコールされれば、やはり同じように頭を下げ、フェアグラウンドのラインを跨ぐときにもまた脱帽と一礼を欠かさない。
「なんていうんですかね。自分の中のルーティンというか、グラウンドに入るときは必ず左足から入りますし、やらないと気が済まないんです」
無数のルーティンは朝から存在する。朝食はピザソースを塗った食パンにサラミとピーマン、チーズを乗せた「ピザパン」と、ヨーグルトとコーヒー牛乳でなければならない。試合前の軽食は蕎麦でもラーメンでもなく、うどん。登板直前のブルペンでの球数は11球と決めている。自分の仕事にいくつもの折り目をつけて、それら全てが一球に繋がると考える。そういうピッチャーである。
9月19日の東京ドーム、栗林の名前がコールされたのは7回裏だった。栗林と読売ジャイアンツ、そして9月という季節が重なると思い出される光景がある。ちょうど1年前の同じ時期に起きたカープにとっての悪夢である。
昨年のチームは首位で8月を終えたものの、9月に入って失速し、競り合っていたジャイアンツにその座を明け渡す事態となった。そんな中で迎えた首位攻防戦、カープは2点リードで最終回を迎えた。勝てば再び、首位浮上のきっかけをつかめる。そんな気運の中で、満を持して守護神の栗林をマウンドに送った。
ところが、セーブ王のタイトルを争うほど安定していたストッパーは3つのフォアボールとデッドボール、2本のヒットを浴びて逆転を許してしまった。ワンアウトも取れずに降板となった栗林はベンチで頭を抱えた。その姿は、力尽きるように首位からBクラスへと坂を転げ落ちていったチームを象徴していた。いわば「9月のジャイアンツ戦」というのは、チームにとっても栗林にとっても、2025年を戦う上での反骨の原動力であり、逆襲の符牒であった。
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