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「あれを見て裕毅はF1を目指せる、と」父・角田信彰が振り返るレッドブル・ジュニア時代と“F1に手が届いた夜”「だから秩父の三峯神社に行ったんです」
2025/06/19
幼い頃からカートの運転は抜群にうまかった。それでも息子が世界最高峰のドライバーになるなんて、想像すらしていなかった。ところがレッドブル傘下のF3マシンを操る姿を見て、考えを改めた。迎えた2020年のF2最終戦、F1昇格まであと一歩に迫った角田裕毅は窮地に立たされていた。そのとき父・信彰氏は何を思い、遠いバーレーンからの吉報を待っていたのか。(原題:[ルーツを探る(2)F2&F3時代]父が振り返る「F1に手が届いた夜」)
2018年10月3日、日本GPを週末に控えた水曜日だった。角田信彰は息子・裕毅を連れて立川のセレクトショップへ向かうと、フィナモレのシャツにPTのパンツを一緒に選んだ。チャーチのチャッカーブーツに合わせて、ベルトもスウェード。重要人物との面談に臨む戦闘服だった。
「いまから(ヘルムート・)マルコさんと(クリスチャン・)ホーナーさんに会いに鈴鹿へ来なさいと連絡があって。さすがにTシャツ、短パンじゃまずい。オーストリア人とイギリス人に対峙するなら、イタリアがいいかなと思ってね」
突然の電話は、直前にハンガロリンクで行われたレッドブルのF3合同テストを受けてのものだった。日本から参加した角田はみるみるタイムを伸ばし、その時点で「FIA F3ヨーロッパ」のシリーズポイントでトップだったダン・ティクタムをも凌ぐ最速ラップを記録。それまでF3マシンに乗ったのは国内での2度のテストだけ、という驚異の適応力も評価された。
面談を経て、若手育成プログラム「レッドブル・ジュニア」に抜擢された角田は、翌年から拠点をスイス・ローザンヌに移した。F1のトップチームの一つであるレッドブルは、有望な若手ドライバーを早い段階から発掘し、F2やF3といった下位カテゴリーを通じて育成するシステムを築いている。マックス・フェルスタッペンやダニエル・リカルドといったトップドライバーが育ったジュニアチームで、才能と将来性が認められた者だけが招かれる狭き門だ。
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photograph by Nobuaki Tsunoda
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