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レッドブルチーム代表に「ようやくお会いできましたね、この野郎」荒っぽい発言連発だった角田裕毅はいかにして自分の英語を見直すに至ったのか?
1980年代から'90年代にかけて、日本人ドライバーの多くにとって、F1を戦う上での壁となっていたのは英語力だった。マシンのセットアップはドライバーからのフィードバックを元にして、エンジニアが行う。さまざまな国の人間が集まるF1では、そうしたコミュニケーションをとるための共通言語は英語だからだ。そのため、英語が堪能なマネージャーが通訳としてサポート役を担っていた。
その流れを変えたのは、佐藤琢磨だった。早くから渡英し、ドライビングの技術だけでなく、語学力を身につけていった佐藤の活躍で国内の育成システムも見直された。英語は海外挑戦の必須項目だとF1を目指す若者たちは考えるようになった。
それ以降、F1にステップアップしていった日本人で英語が話せないドライバーはいなくなった。というより、現在では英語で会話できなければまったく通用しない。
エンジニアとマシンをセットアップしていくための会話はもちろんのこと、パワーユニット(PU)が導入されて以降、走行中にPUの使用モードをエンジニアからの無線に応じて変更しなければならなくなった。後方から速いマシンが接近してきたときにも無線が飛び、タイヤのコンディションに関して情報を共有したり、それに合わせて戦略の確認や変更を行ったりするからだ。
時速約200km、エンジンの爆音の中で飛び交う会話
しかも、それらの会話は静かな会議室で行うのではなく、平均時速約200kmという状況で行わなければならない。風を切るノイズとともに背後では1分間に約1万回転で回るエンジンの爆音が鳴り響いている。高度なヒアリング力と瞬時に理解する能力もまた必要となっている。
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