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「最後に父と会えてよかった」悲願のタイトル…吉田麻也がアメリカの地で守った“約束”と36歳の肉体「もはや辞める理由がなくなった」《インタビュー》

世界文化遺産・大浦天主堂から続く坂道を20分ほど歩いた高台に、長崎市では知られた名物おじさんが住んでいた。明るくて、豪快で、破天荒で。そんな人柄を慕って、おじさんの自宅はいつも大勢の人で賑わっていた。3人の息子たちの友達が集まれば、巨大なガスバーナーを手に庭で肉を焼き、冬には大量のキムチ鍋を振る舞ってくれる。それを子どもたちが美味そうに頬張る姿を見るのが楽しくて、おじさん自ら下宿屋を開いたほどだった。
息子たちの学業の成績や生活スタイルには寛容なおじさんだったが、その「生きざま」については頑固一徹、厳しく育てた。
「夢は大きく、志は高く」
「やられたら、やり返せ」
「サッカー馬鹿にはなるな」
プロのサッカー選手に成長した三男が実家に顔を出せば、必ずこう伝えた。
「プロなんだったら、優勝しなさい」
そして、こう付け加えた。
「この先、私に万が一のことがあっても、帰ってこなくていいから。自分の仕事を、サッカーを優先しなさい」
吉田が語っていた「もしもタイトルを獲れたら…」
吉田麻也はワールドカップにも、オリンピックにも3度出場している。21歳で日本を飛び出し、オランダ、イングランド、イタリア、ドイツ、アメリカのクラブで活躍してきた。それでも、父との約束を果たせていないことが、ずっと心に引っ掛かっていた。大きな大会の前にインタビューするたびに、こう口にしていた。
「名古屋グランパスでの天皇杯決勝も、サウサンプトンでのリーグカップ決勝も、2019年のアジアカップ決勝も。これまでの僕は、あと一歩のところで勝ち切れていないんです。もう一段階上の選手になるには、勝ち切る力を身に付けないといけない。もしもタイトルを獲れたら、また違う景色が見えると思うんですよね」

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