#1133
巻頭特集

記事を
ブックマークする

正確性の高い中田英寿、現地人のような森本貴幸に長友佑都、鈴木彩艶も…セリエAとイタリア語習得に挑んだ日本人列伝《サッカー選手がイタリア語を覚えるための三カ条とは》

2025/12/08
中田英寿 Hidetoshi Nakata Perugia 1998-2000 AS Roma 2000-2001 Parma 2001-2004 Bologna 2004 Fiorentina 2004-2005 セリエAデビュー戦での2ゴールを皮切りに二桁得点を記録するなど大きな衝撃を与えた
1994年の三浦知良に始まったセリエAへの挑戦。30年余りで14人もの選手がその地に夢を追い、イタリア語習得という壁に立ち向かってきた。日本人ジョカトーレの成功に必要なポイントとは。(原題:[中田英寿から鈴木彩艶まで]セリエA挑戦に学ぶ日本人のイタリア語習得)

 パルラ・コメ・カルチ。

「ボールを蹴るように話してみよ」とイタリア語を覚えようとする外国人選手は現地で諭される。何の気なしに球を繰るように、息するように、意識せずに言葉を使えるようになれと。

 '94年の三浦知良によるジェノア入団以来、現在のパルマGK・鈴木彩艶まで、これまでに14人の日本人選手がセリエAに挑戦してきた。30年余という時間の積み重ねは、現地のイタリア語習得というグラウンド外での戦いの歴史でもある。

三浦知良 Genoa 1994-1995 世界最高峰のセリエAで史上初のアジア人選手となった三浦知良は、パイオニアとして道を切り拓いた Getty Images
三浦知良 Genoa 1994-1995 世界最高峰のセリエAで史上初のアジア人選手となった三浦知良は、パイオニアとして道を切り拓いた Getty Images

 歴代のセリエA日本人選手の中で、最もイタリア語に長けたのは中田英寿だろう。'98年に21歳でペルージャに入団した彼は、当時から勉強家として知られ、街中で語りかけてくる地元民にも方言で気さくに応じたという。彼のイタリア語は社交会話としての語彙や文法の正確性が高い。

森本の助けになったチームメイトたちの‟ツッコミ”

 だが、最も現地人らしくイタリア語を使いこなしたのは、カターニャで活躍したFW・森本貴幸ではないだろうか。

 当時、史上最年少の15歳10カ月でJリーグデビューを果たした森本は、まだ欧州移籍が実績も知名度もある日本代表レギュラー級だけのものと思われていた'06年、18歳でシチリア島に渡った。異例だった。

「参考書とか文法書は2、3冊持っていきましたね。最初は『マンジャーレ=食べる』みたいな単語帳をひたすらめくって」

 昨年、現役を引退した後、横浜のサッカークラブ「エスタジオ・リアズ」でコーチ業をしている森本は当時を懐かしそうに振り返った。

全ての写真を見る -1枚-
特製トートバッグ付き!

「雑誌+年額プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by Getty Images

0

0

0

この連載の記事を読む

もっと見る
関連
記事