記事を
ブックマークする
正確性の高い中田英寿、現地人のような森本貴幸に長友佑都、鈴木彩艶も…セリエAとイタリア語習得に挑んだ日本人列伝《サッカー選手がイタリア語を覚えるための三カ条とは》
パルラ・コメ・カルチ。
「ボールを蹴るように話してみよ」とイタリア語を覚えようとする外国人選手は現地で諭される。何の気なしに球を繰るように、息するように、意識せずに言葉を使えるようになれと。
'94年の三浦知良によるジェノア入団以来、現在のパルマGK・鈴木彩艶まで、これまでに14人の日本人選手がセリエAに挑戦してきた。30年余という時間の積み重ねは、現地のイタリア語習得というグラウンド外での戦いの歴史でもある。

歴代のセリエA日本人選手の中で、最もイタリア語に長けたのは中田英寿だろう。'98年に21歳でペルージャに入団した彼は、当時から勉強家として知られ、街中で語りかけてくる地元民にも方言で気さくに応じたという。彼のイタリア語は社交会話としての語彙や文法の正確性が高い。
森本の助けになったチームメイトたちの‟ツッコミ”
だが、最も現地人らしくイタリア語を使いこなしたのは、カターニャで活躍したFW・森本貴幸ではないだろうか。
当時、史上最年少の15歳10カ月でJリーグデビューを果たした森本は、まだ欧州移籍が実績も知名度もある日本代表レギュラー級だけのものと思われていた'06年、18歳でシチリア島に渡った。異例だった。
「参考書とか文法書は2、3冊持っていきましたね。最初は『マンジャーレ=食べる』みたいな単語帳をひたすらめくって」
昨年、現役を引退した後、横浜のサッカークラブ「エスタジオ・リアズ」でコーチ業をしている森本は当時を懐かしそうに振り返った。
全ての写真を見る -1枚-プラン紹介
「雑誌+年額プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
「雑誌+年額プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
この連載の記事を読む
記事


