#1096
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《ジャスティンミラノ》戸崎圭太が明かす“天国の藤岡康太”への誓い「2人のダービージョッキーが生まれる、という思いで」【友道師の証言も】
2024/05/16
悲劇を越えて、渾身の末脚で掴んだ涙の皐月賞。堂々たる本命として臨むダービーを前にしても、鞍上に気負いはない。亡き藤岡康太が育んだこの馬の力を信じて、ともに頂へ進むだけだ。(原題:[決戦直前インタビュー]ジャスティンミラノ&戸崎圭太「2人でダービージョッキーに」)
ゴールまで残り200m。戸崎圭太が騎乗するジャスティンミラノは、先に抜け出したジャンタルマンタルに3馬身ほどの差をつけられていた。
――まずい、届くだろうか。
戸崎はそう思いながらも、騎乗馬を支えてきた後輩騎手の力を近くに感じ、渾身のアクションで追いつづけた。それに応え、ジャスティンミラノは猛然と末脚を伸ばす。
2024年4月14日、中山競馬場。第84回皐月賞の直線でのことだった。
「康太、康太!」
ジャスティンミラノを管理する友道康夫は、スタンドの調教師席で藤岡康太の名を叫んでいた。
ジャスティンミラノはゴールまで残り3完歩ほどのところで内のジャンタルマンタルをかわし、外のコスモキュランダの猛追も封じて、勝った。「史上稀に見る大混戦」と言われたクラシック三冠の初戦を、デビューから3連勝で制したのだ。勝ちタイムは1分57秒1のコースレコードだった。
検量室前に出てきた友道も、友道厩舎のスタッフも泣いていた。下馬して友道と抱き合った戸崎はゴーグルをつけたままで表情は窺えなかったが、涙を隠していたことは、ゴーグルを外して勝利騎手インタビューに応じたときにわかった。
「この馬は、藤岡康太ジョッキーが2週前、1週前と攻め馬をしてくれて、事細かく状態を教えてくれました。康太、ありがとう。お疲れさまでした、と伝えたいです」
藤岡は、皐月賞の前週、4月6日のレース中に落馬し、同10日に亡くなった。35歳の若さだった。彼は、ジャスティンミラノがデビューする前から、ずっと稽古をつけてきたのだ。
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photograph by Kiichi Matsumoto