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「完璧なサラブレッドになった」ディープインパクトが見せた“聖夜のラストラン”…調教助手はなぜ涙したのか?《2006年・有馬記念の舞台裏》
クリスマスイブの前の晩、中山競馬場の厩舎にある6畳一間の部屋で、市川明彦はコンビニエンスストアで買った梅おにぎりを食べていた。飲み物はペットボトルのお茶。酒は大好きだが、この日は飲まない。厩舎スタッフのための食堂もあったものの、「もし食あたりでもしたら、馬を引いてパドックを歩けない」と市川は考える。だから、おにぎりの具も動物性ではなく、梅なのだ。遠征するときはいつもそうしている。
レースの前はとくに験担ぎをすることはない。「無事に帰ってこれますように」とトレセンの馬頭観音にお参りするぐらいで、自分の体調には気をつけるようにしている。
前年のハーツクライに負けた有馬記念のときには、翌日の朝、市川は病院に担ぎ込まれていた。急性肝炎でそのまま入院。ウイルス性でもなく、原因不明ということだった。なんとか2週間ほどで退院できたが、回復しなかったら厩務員人生もそこで終わっていた。ナリタブライアンの村田光雄も菊花賞前には心労でやせ細り、シンボリルドルフの伊藤信夫も春の天皇賞の前に倒れて救急車で運ばれた。三冠馬になるような馬を担当する厩務員は皆、大きなストレスのなかで仕事をしている。
加えて、この秋の市川にはもうひとつべつのストレスがあった。凱旋門賞後の理化学検査で、ディープインパクトからイプラトロピウムというフランスで禁止されている薬物が検出されたのだ。日本では使える薬で、ディープインパクトは喉の治療に使用していた。それが、フランスギャロ(競馬主催団体)から紹介された獣医師に診てもらっていて、レース前には使用していないのに尿から検出されたというのだから、市川も疑心暗鬼になった。また、市川は担当馬の飼料管理も任されていたからショックも大きかった。馬は3着から失格となり、日本から帯同してきた獣医師も6カ月のJRA診療施設の貸し付け停止となった。市川も厩務員の仕事ができなくなるのでは、と思い悩んでいた。
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