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「絶対日本に帰ろうって思ったんですけどね」長谷部誠がドイツ11年目で手に入れた“柔軟性”という武器【独占インタビュー/2018年】

2024/05/26
24歳の青年が浦和を旅立って、10年以上が経つ。ブンデスリーガ制覇、指揮官からの冷遇、2部降格。喜びも、悔しさも、嫌というほど味わってきた男は、なぜ、これほど長くドイツで活躍を続けられるのか。(初出:Number961号[欧州11年目を語る] 長谷部誠 「耐えて、忍んで」)

 自身にとって3度目のW杯を戦い、直後に日本代表からの引退を表明した長谷部誠は、ドイツで実に11度目、フランクフルトで5度目の夏を迎えた。欧州4大リーグでプレーする日本人の最長在籍記録を、日々更新している。だが、最初からここまで長いドイツ生活を想像できていたわけではなかった。

「こんなに長くいると思わなかったですよ。最初にプレーしたヴォルフスブルクは本当に何もない田舎町で、英語も通じませんでしたし。しかも(鬼軍曹として知られる)フェリックス・マガト監督だったので、トレーニングもほんときつかった。精神的にも追い込まれた部分もあって、最初は2年半契約だったんですけど、その期間が終わったら、絶対日本に帰ろうって思ってたんですけどね」

踏ん張って、歯を食いしばって、いつの間にか長い間いる。

 ヴォルフスブルクに移籍したのは2008年1月だった。環境には慣れず、言葉は伝わらず苦しむ長谷部に、暗く長く寒いドイツの冬が追いうちをかけた。

「ドイツでは気持ちが暗くなることもあるよって、聞いてはいたんですけど、やっぱり大変でしたね。それでも、踏ん張って、踏ん張って。歯を食いしばってやってきて、いつのまにかこんなに長い間こっちにいるという感じです。正直心が折れそうになったこともあったし、いろんな波もありました。そういう中で、自分でもよく踏ん張ったなという感覚がありますね」

 踏ん張った、歯を食いしばったなどという、長谷部らしからぬ泥臭い言葉が、過酷さを物語る。

 とはいえ、歩みは順調だった。移籍から2シーズン目の'08─'09シーズンにはリーグ優勝を果たし、続く'09─'10シーズンはチャンピオンズリーグにも出場、グループリーグ6試合中5試合で先発した。バイエルン以外のクラブが優勝すること自体が少ないブンデスリーガで、ヴォルフスブルクのように'90年代後半になって本格的に強化を始めた、いわば新興クラブの優勝は奇跡的なことだった。だが、当時の長谷部にはたいした実感はなかったという。

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photograph by Ryu Voelkel

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