2月20日、女子フリーの夜、満場の歓声のなか浅田真央は、天井を見上げる演技終了のポーズのまま、顔をくしゃくしゃにしていた。笑おうとして2度こらえた涙が目から溢れた。
「最後の最後まで思いを込めて演技しようと考えていたので、最後のスパイラルは『まだ』と思っていました。終わった瞬間は『やった』。心配してくれた皆さんに笑顔を見せようと思ったのに、つい泣いちゃいました」
前日のショートでは3つの全ジャンプでミスして16位。「身体が全然動きませんでした。理由は分かりません」とうなだれた。そこから一夜、フリーはトリプルアクセルを含む8本の3回転を着氷し、自身が初めて挑んだ最高難度のプログラムを見事に滑り抜いた。自己ベストの142・71点で10人をごぼう抜きしての総合6位。フィギュアとしては前代未聞の巻き返しだった。
「昨日と今日では、天と地の差です」
目標としていたメダルが絶望的となる中、フリーの挑戦を支えた力の源は何だったのか。師である佐藤信夫と4年がかりで歩んだ道に、その答えはあった。
時は4年前――。バンクーバー五輪のフリー演技後、浅田は涙を流していた。
「色々考えたりして長かったんですけど……。あっという間に終わってしまいました。悔しいです」
当時は自分の心情を語る語彙もなければ、自己分析も出来なかった。銀メダル獲得の快挙にも、喜びはなかった。
最大の原因は、ジャンプの不振だった。「結果的には跳べていても、フォームは崩れている。ゼロからやりなおしたい」と浅田は考えた。母・匡子さんは、基礎の指導に定評がある佐藤が適任と考え指導を依頼。「すべて崩してから構築していくには3年はかかる。それでもいいのか」という佐藤が提示した条件のもと、ソチへの4年がスタートした。
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