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その後、東京五輪では2回戦敗退、左膝前十字じん帯負傷、23年世界選手権は3回戦敗退と苦難の日々が続いた。その度に進退を考えるほど深く悩み、弱音も吐いた。ただ、それでも自暴自棄にはならず、這い上がってきた。そして心の葛藤を隠そうとはしなかった。まっすぐすぎるほどまっすぐな心根に惹かれ、もっと彼女を知りたいと取材を続けてきた。
だからこそ、20年以上に及ぶ現役生活を全身全霊で走り続けた彼女を、3度の五輪にかけた彼女の柔道人生を、描きたいと思った。《Numberノンフィクション全3回の2回目初回(無料公開中)、つづきを読む》
「東京オリンピックの後の世界への挑み方、道のりが一番難しかったですね。次のオリンピックを目指すことをなかなか決められませんでした。でも、左膝前十字じん帯断裂という大怪我を経験し、どん底に突き落とされて、柔道の見え方や取り組み方に大きな変化が生まれたんです。柔道に対しての窮屈さを感じなくなったというか。
けっしてガチガチだったわけではないけれど、自分の中で、"信念を貫いて進んでいかなければいけない"という考えがあって、それが時には成長の邪魔をすることがありました。あまりにも自分を型にはめすぎていたというか。"こうじゃないといけない""こうであるべきだ"という考えが強すぎていたし、そこに頼りすぎていたし、甘えてもいた。自分が成長することに怖がっていましたし、勇気を振り絞れていなかったんですよね」
22年4月には、全日本選抜体重別選手権大会での復帰に向けた調整中に大怪我を負った。選手生命をも左右するものだったが、まさに"怪我の光明"。結果的にそれが思考の転機になった。
「自分のなかにあったストッパーがポンと外れて、型自体が崩壊したというか。怪我をしたことで体がうまく動かせない時期もあって、型にはめようとしてもはまらないんですよね。それなら型にはめようとせず、その状態のなかでいかにうまく体を使っていくかを考えるようになったことが結果的には良かったんだと思います」
東京五輪までは完璧を求めすぎて自分を追い込み、余裕がなくなることもしばしばあった。しかし怪我を機に、自分には何ができるのかを考えるなかで対処法を見つけた。たとえ失敗したとしても、その時に考えてそれを糧に、次に繋げればいい。
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