見上げるほどの大男たちがリングの上で対峙し、殴り、蹴り、倒し合う。1993年に誕生した前例なき祭典、立ち技最強の戦士を決める闘い――K-1が解き放ったムーブメントの真っ只中に、間違いなくこの男がいた。ヘビー級日本人ファイターとして活躍したあの熱狂の日々を振り返る。
「第1回のK-1が1993年だから、今年で30年目になるんですね。いやあ、あの時代は本当に熱かった」
アンディ・フグ、ピーター・アーツといったスターを生み出し、格闘技ブームを巻き起こした、立ち技世界一を決めるK-1 WORLD GP。日本で生まれたこのビッグイベントは、国内唯一のヘビー級戦士・佐竹雅昭がいなければ間違いなく誕生しなかっただろう。
K-1が生まれるきっかけとして、'91年6月の正道会館対USA大山空手の5vs5マッチや、'92年春からスタートした格闘技オリンピックの大ヒットなどが挙げられる。その中で佐竹自身が「あの一戦がなければ、その後の格闘技の興隆はなかった」と断言する重要な一戦となったのが、'90年6月30日に日本武道館で行われたドン・中矢・ニールセンとの異種格闘技戦だ。
当時のニールセンは前田日明との異種格闘技戦で名を売った強豪、対する佐竹は正道会館の全日本王者で、純然たるキックボクシングの経験は一戦もない空手家だった。
「昨日までアマチュアの空手家だったのが、いきなり大きな会場で戦うことになったんです。僕は全日本(空手道選手権)を4度制していますが、当時は空手だけではとても食べていけない状況だったので、チャンスだなと」
巷では「キック対空手」という対立構造に注目が集まったが、ルールはニールセンが得意とするキックルールだった。佐竹にとって不利な状況だったが、そこを逆手にとるだけの野心と覚悟を抱いていた。
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photograph by Kiichi Matsumoto