#1055
巻頭特集

記事を
ブックマークする

[デビュー戦を語る]長州力「プロレスを“掴む”のは、めちゃくちゃ難しいぞ」

2022/07/16
のちの革命戦士のデビュー戦は、'74年盛夏の日大講堂だった。アマレスエリートからの華麗な転身と思いきや、吉田光雄の名で“生きるための仕事”に必死だった日々を長州自身が振り返った。

「おい、俺はもうプロレスの話はしたくないと何度言ったらわかるんだ。熱海にプロレスを持ち込むなよ。えっ、これ『Number』なのか? で、何を聞きたいんだよ……?」

 プロレスマスコミか、それ以外か。長年、プロレス専門メディアに対して見下げた態度を取り続ける長州力は、昨年末に東京から熱海に移住し、物理的にもさらにプロレスから距離を置いている。だが『Number』となれば、なぜか話は別だ。

「今年、新日本が50周年ってことは、俺がデビューしたのは48年前だよな。デビュー戦の相手の顔も忘れたけど、なぜかマッハ文朱が会場に来ていたことは憶えてる。『あれ? なんでいるんだろうな?』って思ったからな。あの人、『スター誕生!』に出場して、山口百恵と同期だよな、ウン」

 デビュー戦の相手だったエル・グレコの記憶は「たしかギリシャ系で、俺と同じくらい動きがぎこちなかった」とぼんやりとしたものだが、マッハ文朱の経歴にはなぜか詳しい長州は、'74年8月8日、日大講堂でプロレスデビューを果たした。特筆すべきはデビュー戦のフィニッシュがすでに長州の代名詞である「サソリ固め」だったこと。カール・ゴッチから伝授されたという伝家の宝刀である。

「サソリをゴッチさんから教わった? まあ、それはまわりがそういうストーリーを勝手に作ったんであって、俺が口を出す問題でもないだろうな。いや、ゴッチさんが考えたような気もするな……」

 レスリングでミュンヘンオリンピック出場という輝かしい経歴をひっさげてのプロレス入りだったが、長州にとってプロレスは「生きていくうえで寝床と食を確保するための“仕事”」という認識だった。仕事だからこそ、一生懸命にやろうと心に決めていた。デビュー戦後すぐにヨーロッパや北米への海外武者修行をおこなった際も、とにかくガムシャラにがんばった。しかし帰国後、いきなりその意欲を削がれる事態に見舞われる。「吉田光雄選手のリングネーム公募」が突然に企画されたのだ。

特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by Takeshi Yamauchi

0

0

0

前記事 次記事