ベルギー戦とロシア戦で値千金のゴールを挙げ、一躍日本の“顔”になった。だが、本人の心に深く残るのは、後半2試合で下された指揮官の決断だった。あれから20年、なお現役を続ける男が明かすあの時の心境――。
国民的ヒーローの誕生だった。
ベルギー戦で逆転弾を叩きこみ、ロシア戦では決勝ゴールを決め、日本のW杯初勝利に貢献した。小野伸二らチームメイトには「旬な稲本さん」と言われ、日本躍進のシンボルとして、稲本潤一の存在はどんどん大きくなっていた。
「ベルギー戦のゴールは自分の持ち味が出たし、それでノレたかなと。ただ、当時は今ほどネットとかがないんで世間で騒がれているのはそんなに感じなかったし、自分に対する見方や監督の評価も気にしていなかった。若かったんで、自分のプレーができているかどうかしか考えていなかった」
グループリーグ3戦目のチュニジア戦もスタメン出場を果たした。膠着した状態のまま前半を終えると、稲本は市川大祐と、柳沢敦も森島寛晃と交代した。後半から稲本のポジションには明神智和が入り、市川は右ウィングバックに入った。
「自分は、動けていなかったので、それで交代なんかなと思ったけど……ただ、後半になったらもっと動ける可能性もあると思ったんで、ほんまに0-0の状態で代えるんかって思いましたね」
3人しか交代できない中、トルシエ監督の後半開始からの2枚代えがハマることになる。後半3分に森島が先制ゴールを決め、さらに市川のクロスに中田英寿が頭から飛び込んで2-0。交代選手が流れを変えて勝利に貢献し、チームはグループリーグを首位で突破した。
「采配が当たったんで、このイメージは監督にすごく強く残ったと思いますね」
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photograph by Megumi Seki