エースを登板させず、甲子園目前で散った夏。あれから3年、共に白球を追った仲間たちは、4月10日の完全試合に何を思ったか――。
《佐々木朗希、連続奪三振記録更新》
日曜日の部活を終えて、何気なく手にしたスマホ。ツイッターが高校時代のチームメイトの話題で沸き立っていた。大船渡高校野球部同期20人のグループLINEには、恐ろしい数の通知がついている。
朗希がとんでもないことをやっている。すでに始まっていた野球部のビデオ通話に加わると、すでに10人近い仲間たちが、だれかが映す試合映像に釘づけになっていた。
「居ても立ってもいられなくて、帰りのバスでもビデオ通話をのぞき込んでいました。最終回は“頼むから振らないで!”と相手バッターにお願いして。打球が飛んだら、なにが起きるかわからないですから」
かつての仲間が成し遂げた偉業を、こう振り返るのは和田吟太。佐々木とともに投手として甲子園の夢を追った若者はいま、埼玉県の駿河台大学で野球を続けている。
3年前、163kmを投げる怪童の出現を機に、地元の球児が集う港町のチームは一躍注目の的となった。球場や学校周辺が、ただならぬ喧騒に包まれた。
だが物語は、世間が望む結末にはならなかった。県大会決勝のマウンドに佐々木の姿はなく、大会初登板の投手が先発した大船渡は完敗。前日の準決勝で129球を投げたエースを温存する國保陽平監督の采配は、国民的論争を巻き起こした。
ただ和田にしてみれば佐々木が投げなかった決勝は、“自らが投げられなかった決勝”という位置づけにもなる。「仮に決勝で自分が投げていたら、燃え尽きて野球をやめていた可能性がある?」と訊くと、「それは結構あります」と即答した。
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photograph by Asami Enomoto