前回の銀メダリストが、成長した姿を見せた。悩み、試行錯誤を繰り返した4年を経て辿りついたスケーター、そして表現者としての境地はどこか。北京で発した言葉の真意を丁寧に読み解いた。
2月10日の男子フリーの夜、北京五輪のメダルプラザで行われた授与式で、宇野昌磨は銅メダルのリボンを手に取りさっと首から掛けた。メダルを見ることも触ることもせず、前を向いたまま観客へ大きく手を振り続けている。初めての五輪メダルを首に掛けた鍵山優真は、まるで盗み見をするようにチラッと視線を下げる。ネイサン・チェン(米国)はぎごちない手つきでねじれたリボンを戻すのに手間取り、ようやくメダルをつかんで色を見つめた。三者三様の笑顔が並ぶなか、宇野のひときわ精悍なまなざしが、4年の月日を物語っていた。
「平昌五輪の方が順位は高かったですけど、4年間という大きな目で見た時に、前回とは違う色々なことを超えて手にした銅メダル。演技は満足いくものではなかったかも知れませんが、3位ということに嬉しく思います。このメダルを家族や今日まで支えて下さった方に見せたいです」
4年前、20歳の宇野は、銀メダルを胸に無邪気にこう言った。
「僕にとっては、五輪は他の大会と同じ、1つの試合。メダルを誰かに掛けたいとかはないし、見せたいとかもないです」
もともと、試合で結果を求めずに「練習の成果を出す」をモットーにする。無欲でつかんだメダルに、重みはなかった。
しかし次々と転機がやってきた。
「僕は山田満知子先生と樋口美穂子先生の下でスケート人生を一生送るつもりでした。ただ満知子先生からは『もっとトップを目指すために外に出た方がいい』と言っていただいて、色々なことがあり、ステファン(・ランビエル)コーチのもとに行きました」
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photograph by Asami Enomoto/JMPA