ターフに描いた鮮やかな「絶景」。その出発点には、実直に積み重ねた「信頼」という豊かな土壌があった。人と人、人と馬との縁が紡ぎだす、女王の系譜。調教師としてJRA通算800勝の名伯楽が回想した。
ベガがいなければ、ブエナビスタは生まれることすらなかったはずだ。
2頭の血縁はほぼない。血よりも濃い人の縁でつながっていた。それを紡いだのが調教師の松田博資だ。太い眉、強い眼差し。国内外でGI29勝を挙げ、幾多の名牝を育てた「牝馬のマツパク」が、見た目通り実直に信用を積み重ねた結実でもあった。
遡れば開業9年目の'91年にまで至る。しばらく縁がなかった社台グループから、1頭の2歳馬を託された。そのセイリングマスターは何度もゲート再審査を課された癖馬だったが、担当の山口慶次厩務員と苦労を重ね、デビューから1年後の翌年夏に15戦目でようやく初勝利を挙げた。
「使い詰めやったから放牧へ出す時に(社台グループの)番頭さんから『先生、悪いけど、1頭だけ残ってる馬がいるからやってくれ』と頼まれてね。入れ替えで来たのがベガやった。牧場の人が言うには『いろんな先生が見に来たけど(厩舎へ)連れて行ってくれる人は1人もいなかった』。最後まで残っとった。そういう縁で来て慶次がやった。何が幸いするかわからんよな」
“売れ残り”の理由は左前脚にあった。生まれつき内側へ曲がっており、調教やレースの負荷に耐えられないとみられた。栗東トレセンへ入厩した際にも、獣医師から「早く牧場に帰した方がいい」とデビュー断念を勧められたほど。それでも諦めなかった。坂路、ウッド、芝、ダート、プール。時には自らもまたがり、あらゆる調教を試した。その成果が'93年の桜花賞とオークスの牝馬クラシック二冠。誰もが見放した馬を育て上げ「一等星」として輝かせた。
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photograph by Hideharu Suga