韓国や、北朝鮮や、中国や、サウジアラビアや、イランや、イラクや、クウェートや、カタールや、ニュージーランドや、時にはタイやマレーシアにも歯が立たない時代が、日本サッカーにはあった。
ハンス・オフトが「わたしの仕事は日本をW杯に連れて行くことです」と宣言したのは、そんな時代の只中だった。あの頃の日本サッカーにとって、アジアの頂点は目が眩むほどの高みにあった。
今年で創立百周年を迎えた日本サッカー協会は、2050年までにもう一度W杯を日本で開催すること、そしてそこで優勝することを目標として掲げている。
2021年現在の日本サッカーが、まだ世界一には遠く及ばない立場にあるのは間違いない。一方で、あまりアテにならないことで定評があるものの、FIFAランクの20位台に入ることが珍しくなくなった。
「そもそも登山道の入口に立てなかった時代があって、ようやく登り始めたけれど、山頂ははるかに霞んでまるで見えない、という時代もあった。いまはまだまだ霞はかかっているんだけど、かなり山頂が見えてきたかな、というところでしょうか」
人によって感じ方は違うでしょうが、と前置きをした上で、日本サッカー協会副技術委員長の小野剛は言った。彼は、このところ見聞きする機会が増えた“ジャパンズウェイ”という言葉を初めて使った人物でもある。
「2006年、技術委員長になった時に初めて使いました。ドイツW杯の後です。期待を裏切る結果になってしまったこともあって、だから日本人はダメなんだ、日本だからダメなんだという空気が強かった。まずはその意識を変えたかった。日本人がダメだと思い込んでる自分たちの特性が、実は最高の武器になるかもしれない。そう気付くきっかけをくれたのが(イビチャ・)オシムでした」
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