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C・ルメール「猛反対から最大の理解者に」~障害騎手の息子として~

2020/10/16
’16年、シャンティイ競馬場で凱旋門賞の前哨戦、ニエル賞に勝利直後の父子
今年もリーディングトップをひた走るフランス生まれの名手は、障害ジョッキーを父に持ち、馬の街シャンティイで育った。当然、騎手の道を志した。しかし、反対したのは他ならぬ父だった。

 クリストフ・ルメールのフルネームをご存知だろうか? 意外と知られていないが、クリストフ・パトリス・ルメール。父パトリスの名前がセカンドネームとして配されているのだ。

 そのパトリスは、元障害競馬の騎手。幼少時のルメールにとって憧れの的だった。

「自分がジョッキーになりたいと思ったのは父の存在があったからです。父だけでなく母方の叔父も障害騎手だったこともあり、僕らは馬の街として有名なシャンティイに住んでいました。そんな環境にいたので、僕が騎手になりたいと思ったのはごく自然。小さい頃からソファを馬に見立てて、またがって鞭で叩いていました」

 しかし、父の背中を追おうとした息子を、父は歓迎しなかった。

「障害騎手は怪我が絶えません。だから、自分の子供を危険な仕事に就かせたくなかったようです」

父は騎手の道に進むことを反対した

 フランスでは週3日程度、障害レースの開催がある。1人の騎手は1日5~6レースに騎乗するが、ルメールが言うには「平地競走の落馬は平均して600回に1回だけど、障害の場合、20レースに1回は落ちる」。この数字が現在どこまで正確かは分からないが、障害レースの方が圧倒的に落馬や怪我のリスクが高くなるのは道理だろう。ルメール自身、「父が落馬したシーンを覚えているし、怪我をしている姿も何度も見た」といい、さらに続ける。

「父が引退した時、僕は11歳でした。父が現役の障害騎手であることは、母にとってはビッグストレスだったと思います」

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photograph by Satoshi Hiramatsu

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