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<名捕手の絶賛> 古田敦也「凄いなと思える一番の存在」

2020/08/21
古田敦也(右)にとって野茂英雄は「大いなる刺激」だったという。
ID野球の申し子として名を馳せ、一時代を築いた司令塔。アマチュア時代の'88年には、ソウル五輪に出場し、野茂とバッテリーを組んで銀メダル獲得に貢献した。日本代表でのかつての“女房役”が、豪腕の凄みを語る。

 僕にとって野茂英雄は「大いなる刺激」でした。その一言に尽きます。若いうちに「凄いな」と思える人間に何人出会えるかが、その後の人生を大きく左右する。そういうことを教えてくれた一番の存在です。

 野茂との最初の出会いは1988年、全日本の選考会でした。まだ23歳の僕は前年のドラフトでプロに指名されず、立命館大からトヨタ自動車に進み、翌'89年には指名を受けたい、そのためにアマで最高の捕手になろうと必死で生きていたころです。

 そんな僕がブルペンで構えたミットに、3歳年下の野茂は凄い球をバンバン投げてきました。

トルネード投法が生まれるまで。

 まず150kmくらいの真っ直ぐが素晴らしかった。スピードの速い投手はほかにもいましたが、野茂は真上から右腕を振り下ろして投げるぶん、縦のスピンが効いていて、こちらの手元でビュッ! と伸びてくる。それに、フォークが見たことのないほど大きな落差で落ちるんです。

 トルネードと呼ばれた独特のフォームにも、初めて見たときには驚かされました。どうしてそこまで後ろを向いてから投げるのか、野茂本人に聞いたことがあります。

「スピードを速くしようとしたら、身体を捻らなアカンので、ちょっとずつ捻って、捻って、捻っていったら、ここまでいってもうたんです」と言っていましたね。

 確かに、身体を捻って、ビュッ! と元に戻る勢いを利用すれば、球も速くなる。最初から極端に捻るときちんと戻らないので、少しずつ捻りを加えたそうです。そういう努力を重ねて、身体を倒して真上から投げるフォームを作り上げたわけです。

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photograph by NIKKAN SPORTS

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