「体が元に戻れば、現役に戻りたいですよ」
と野茂さんは言った。あはは、ご冗談を、と笑う空気にはならなかった。
「引退してからもずっと野球をすることに飢えていましたから」
言葉の奥に微かな本気が潜んでいる。
そういえば野茂さんは、日本が誇る細胞学の権威に何やら訊きたいことがあるらしい……。いや、そんなこと無理だろう……。でも、もしかしたら……。そう思わせるところがこの人には確かにある。
2020年。まもなく52歳になる野茂さんは、あの頃と同じように「できるか、できないか」でなく「やりたいか、やりたくないか」を物差しに生きていた。
「イエス」と挑戦したい気持ちだけ。
――野茂さんがアメリカ大リーグに渡ってから25年です。まだ日本球界にメジャー移籍のルールがない時代、懐疑的な視線と逆風の中での挑戦でしたが、あらためて恐怖はなかったのでしょうか。
「英語もわかりませんし、誰かに助けてもらわないと生きてはいけなかったので、私生活に不安はありましたけど、マウンドに上がることそのものには全く不安がなかったんです。とにかくメジャーのマウンドに上がりたい。その気持ちが強くて、不安とか感じませんでした。スタジアムにいることが一番楽しかったですから」
――人間、不安を抱えると、いろいろ準備して何かを持っていきたくなると思うのですが、当時の野茂さんは英語もメジャーの知識もそれほど持っていなかったとか。
「そうですね。ジャイアンツ戦(メジャーデビュー戦)でも、知っていたのは、4番のマット・ウィリアムスと3番の(バリー・)ボンズだけだったんじゃないかな。英語も聞き取れるようになるまで何年もかかりましたし、喋るなんていまだにダメです(笑)」
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