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<最後の教え子たちの記憶> 山崎武司&鉄平が語る楽天改革 「オヤジを胴上げしたかった」

2020/03/24
'09年、ソフトバンクとのCSファーストステージ。第2戦の5回裏に3ラン本塁打を放った山崎が、野村監督と抱き合う。
杜の都で、日本を代表する名将と出会った2人の態度は、対照的だった。懸命にノートを取る若者と、その後方でふて腐れるベテランのスラッガー。それでも彼らは時を経て、野球への意識と監督への思いが変化していくのを感じた。

 楽天が誕生して2年目の春、新監督に就任した野村克也は久米島キャンプの初日から早速、夜のミーティングを始めた。

 最前列に並ぶのは若手組。その中に、予備校生のように熱心にノートを取る若者がいた。中日から移籍した鉄平である。

 古稀を過ぎた名将は「前年の最下位チームが本能の野球をやるのは間違いである」と断じ、“考える野球”への転換を掲げた。

 野球のイロハを噛んで含めるようにして、野村は講義を進める。

『ここでバントのサインが出たとする。なぜいまバントなのか、そしてなぜこの方向に転がさなきゃいかんのか。その理由をしっかりと考えるんや』

「なにをいまさら」と反発する選手もいたが、鉄平は違った。

「野村さんの言葉は、とても新鮮でした。というのも、僕らは野球が身体に沁みついているので、そんな基本を考えたことがないんです。でも改めて一つひとつのプレーの理由を突き詰めていくと、“じゃあ、こうすると相手はこう来るから”というふうに考えの幅が広がっていくわけです」

天性の感覚に理論が加わった。

 とくに興味深かったのが配球の講義。

「野村さんは表と裏、つまり投手だけでなく、打者の心理も含めて解説してくれる。僕にはそれが面白かった」

 野村の教えに惹かれたのは、鉄平がそれまで感覚に頼ってプレーしていたからだ。

「まっすぐのタイミングで待ち、ボールが変化したら対応する。そこには理論の裏づけがあったわけではないんです」

 天性の対応力を生かしたバッティング。そこに欠点がひそんでいた。欠点は、伸びしろでもあった。

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photograph by Hideki Sugiyama

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