#995
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<天才が語る過去と未来> 四日市中央工・小倉隆史 「28年目のレフティ・モンスター」

2020/01/19
あまりに劇的な活躍で選手権史に伝説を築いた怪物。強烈な左足から彼に異名を授けた若き記者は、後に『28年目のハーフタイム』なる代表作をものす。奇しくもあの決勝から28年、再会は果たされた――。(Number995号掲載)

 怪物は、最初から怪物だったわけではない。

 少なくとも、第69回全国高校サッカー選手権に出場した2年生の小倉隆史に、1年後の片鱗を見出すことは難しかった。

 彼と四日市中央工は、初戦で姿を消した。1-5という惨敗だった。

「相手は習志野。ボールをつないでくるチームってイメージがあったんですけど、いざ試合になったら向こうは蹴ってきた。それでパニック。うちは2年生中心のチームだったんで、想定外の事態に対する対応力がまったくなかった」

 会場となった習志野・秋津サッカー場のピッチは、前日からの雨と霜で荒れていた。習志野の指揮官は、後に流通経済大柏を率いてその名を全国に轟かせることになる、本田裕一郎だった。このカードは前年度の選手権、さらにはこの年のインターハイでも実現しており、いずれも四中工が勝利を収めていた。

 今ならばわかる。習志野がやり方を変えてきたのは必然だった。変えてこない方が不思議だった。だが、2年生を中心としていたチームに、そこまでの洞察力はなかった。意気揚々と、しかし無防備のまま臨んだ試合で、彼らは哀れなほどに蹂躙された。

「会場は完全に習志野の地元でしょ。なのに、最後の方はスタンドから“かわいそうやな”みたいな空気が流れてたの感じましたもん」

1-5というスコアに、同情の気配。

 まだ選手権の優勝こそなかったが、自分たちが名門の一員であり、東海の雄であるという無邪気な誇りが小倉たちにはあった。

 だが、1-5というスコアと、習志野オリジナルの応援曲“レッツ・ゴー習志野”に乗って伝わってきた同情の気配は、彼らの幼いプライドを打ち砕き、踏みにじり、嘲り笑った。涙も出ない惨敗のあと、小倉は誓った。

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photograph by Hirofumi Kamaya

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