#988
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<堀内恒夫が語る記憶> 金田正一「ONと囲んだ“金田鍋”」

2019/10/29
10月6日、空前絶後の通算400勝を誇る昭和の大投手が、86歳でこの世を去った。V9巨人で共に栄光を築いた堀内恒夫氏が投手として、人として魅力に溢れた故人を偲ぶ。(Number988号掲載)

 金やんとは年に10回ほど、一緒に日本全国を回って野球教室をやらせて頂いていました。最後に会ったのも今年の5月に兵庫県明石市でやった野球教室のとき。前夜には食事をして、出てきた瀬戸内の魚や明石牛に「これはうまい!」と一緒に舌鼓を打ちました。ただ、自分好みではない料理やちょっと口に合わないものには箸もつけない。そんな我儘さも最後まで金やんらしさだったなと思い出されます。

 傍若無人で他人のことは考えない。そんな振る舞いから、現役時代には「天皇」と呼ばれることもありました。確かにそういう側面もあったかもしれませんが、実は根底に脈々と流れていたのは、周囲の人々に対する優しさでした。球界でこれほどお世話になった人はいない。色々と面倒をみてくださった、私にとってはオヤジのような存在でした。

 私が巨人に入団したのは1966年。金田さんはその前年にB級10年選手制度の権利を使って国鉄(現ヤクルト)から移籍してきていました。すでに300勝以上の勝ち星を挙げ、長嶋(茂雄)さんや王(貞治)さんすらも子供扱いするような迫力のある方でした。初めて会ったのは1年目の開幕直前の後楽園球場で、もちろん高校を卒業したばかりの私など口を利くのも憚られるような雲の上の人でした。

「金田鍋」に呼ばれることがステータス。

 その試合で好投して1年目から一軍に上がることになるのですが、初先発した中日戦(1966年4月14日、中日球場=現ナゴヤ球場)の試合前のロッカーで報道陣に囲まれている私を見ると「坊やが投げるんだ。そっとしておいてやってくれ」と気を使ってくれたことを思い出します。10勝したときも「おい、約束だ」とポンッと腕時計をプレゼントしてくれました。

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photograph by Tamon Matsuzono

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