#913

記事を
ブックマークする

理想の育成牧場を――。ある名厩務員の話。~35年の厩務員生活の後、牧場を私費で作った男~

2016/10/30

 15歳で中央競馬の厩務員になった宮崎利男さんは、35年間東京競馬場と美浦トレセンで働いたあと、茨城県行方市にミッドウェイファームを開いた。

「そもそも放牧は、馬が良くなって帰ってくることを期待して牧場に出すわけだろう? だけど現実は、想像と全く違う姿で帰ってくることがほとんど。調教施設にも問題はあるだろうし、世話をする人間が競馬場の現場を知らないのも大きい。間違いなく馬が良くなる牧場を、俺が作るしかないな」と夢を語っていた人が、理想の育成牧場を本当に作ってしまったのだ。'98年の秋のことだった。

 筆者が宮崎さんと親しくなったのは、のちに菊花賞馬の栄誉に輝いたレオダーバン('88年生まれ、父マルゼンスキー、母シルティーク、美浦・奥平真治厩舎)がご縁。結構な頻度で、日曜午後からの1泊で北海道の牧場に馬を見に行く人で、事情を聞くと馬主さんから直々の依頼で馬の選定を行なっている由。いまなら就業規則違反に問われかねない行動だが、当時は東西にほんの数人、すごい実力を持つ厩務員が存在していたのだ。宮崎さんはその中でも抜けた存在で、レオダーバンはもちろん彼の目利き。初入厩の前日に「クラシックを勝つ馬が明日入ってくる。これをずっと取材することが物書きとしてのあなたの血肉になる」と射抜くような目で宣言され、事実そうなった。風貌や行動は職人肌だが、考えていることは理詰め。私の競馬理論のほとんどは宮崎さんの受け売りである。

特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

0

0

0

前記事 次記事