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<独占ロングインタビュー> 松井秀喜 「僕が最後まで大切にしたこと」

2013/06/20
幸福な野球人生でした――。東京ドームでの引退式から4週間後、
今も暮らすニューヨークで、松井秀喜は何度もそう繰り返した。
伝説の5敬遠に始まり、日本一の打者に成長してメジャーに旅立った。
苦闘の末、念願の世界一とMVPに輝き、半年前に幕を引いた野球人生。
その真実とこれからを、2時間半に渡って、真摯に語り尽くした。

本日発売のNumber PLUS「完全保存版 松井秀喜」より、昨年末の
引退発表後、雑誌メディアでは初となるロングインタビューを特別に
公開します。

 2012年12月28日(米国時間27日)、松井秀喜は20年間の現役生活に終止符を打ち、バットを置くことを発表した。

「僕のいいプレーを期待してくれている方々に、本当に(命懸けのプレーを)お見せできるかどうか疑問だった」

 涙もなく、淡々と言い切った引退会見での言葉。しかし、むしろその乾いた言葉の中にこそ、日米で20年間、常にチームの中心選手として活躍してきた松井の矜持と、最後の決断の重さが込められているように思えた。

 今回の2時間半に渡るロングインタビューの目的は、その20年間で野球人・松井秀喜が追い求めた野球の真実に迫ることだった。話はまず、引退を決意した時の、本当の気持ちを聞くことから始まった。

松井秀喜 Hideki Matsui
1974年6月12日、石川県能美郡根上町(現能美市)生まれ。星稜高時代、甲子園4回出場、通算60本塁打。5連続敬遠の翌'93年、ドラフト1位で巨人入団。日本一は3度経験。'03年、ヤンキースにFA移籍。'09年、世界一とシリーズMVPに輝く。以後、3球団を渡り歩き、'12年、現役引退。

――引退を具体的に考え始めたのは?

「徐々にですね。レイズを解雇されて('12年8月)、ニューヨークに戻ってきた当初は『少しずつ来年の準備をしようかな』ぐらいの気持ちだったんです。それがだんだん『どうなんだろうな』という気持ちになってきて……」

――レイズでの最後の姿が、きっかけになった?

「姿というよりも、結果ですね」

――衰えを実感したことは?

「練習では、最後までありませんでした。でも、試合になると、ちょっとずつ今までと違う部分が出てきていました。一番感じたのは、甘いボールを打ち損じる打席が増えたことです。アスレチックスの年の最後は打率も2割5分ぐらいまで落ちて、初めて自分で自分の成績がちょっと恥ずかしいと思いました。その頃の自分は基本DHの選手でしたので、DHでこの成績はないなと思ったんです」

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photograph by Naoya Sanuki

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