超ハイレベルな攻防を演じたモンティエル戦。
自身が「勲章」と位置付ける2戦の真価に迫った。
好評発売中のNumber PLUS「拳の記憶II~ボクシング不滅の名勝負~」では、日本が誇るチャンピオン7人が激闘を振り返った
「7人のサムライと『魂の一戦』」を掲載。
今回、その中から、長谷川穂積の記事を特別に公開します。
「もっともっと、俺を追い込んでください」
長谷川穂積がそう声を絞り出したとき、トレーナーの山下正人は愛弟子の真意をつかみかねた。難攻不落と言われたウィラポン・ナコンルアンプロモーションを判定で下し、WBCバンタム級のベルトを巻いてから11カ月。初防衛戦をクリアし、ウィラポンとの再戦を目前に控えたときのことだ。
「世界を獲るまでも、獲ってからも、めちゃくちゃきついメニューを長谷川はこなしてきました。このときもふらふらになるまで体をいじめてるのに、何回もそう言うてくるから驚きました」
結果、ジムワークは熾烈を極めた。後に長谷川は〈集中力や緊張感、充実感を持って納得のいく練習が出来たという意味では、ウィラポンとの再戦が一番だったと思う〉と、自著『意志道拓』のなかで振り返っているが、なぜ、あのとき自らを極限まで追い込むことを望んだのか。
「俺にとって世界を獲ることは、ウィラポンを倒すことやったんです」
10度連続防衛、2階級制覇という勲章をその後のキャリアに刻み、現在はWBC世界フェザー級2位にランクされる男は「めちゃくちゃ不安やったからです」と、当時の心境を振り返った。
「再戦でウィラポンに勝ってこそ、胸を張って俺は世界チャンピオンやって言える。でも、その自信がなかったんです。今度こそ負けると……」
長谷川が初めてプロのリングにあがったのは1999年11月。判定勝利でデビューを飾ったが、ウィラポンはその前年の12月に辰吉丈一郎から王座を奪っている。
「そのあともずっとチャンピオンでしたから、俺にとって世界を獲ることは、ウィラポンを倒すことやったんです。挑戦が決まったときはベルトが欲しいというより、ウィラポンに自分のボクシングがどこまで通用するのか試してみたいという気持ちのほうが強かった」
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