#803
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<独占インタビュー> 羽生結弦 「恩返しの旅は続く」

世界選手権の銅メダル。栄光を掴んだ背景には、支えてくれた人々への
感謝の気持ちがあった。震災の苦しい体験によって成長した心、そして、
完璧なスケーターとなるために下した決断――。フィギュア界の若き至宝が
飛躍の今季を振り返った。

 気迫に満ちた演技は、時間を経てなお、鮮烈な光を放ち、薄れることはない。

 羽生結弦は、初めて出場した世界フィギュアスケート選手権(フランス・ニースで3月に開催)で銅メダルを獲得した。17歳、日本男子最年少での快挙である。中学3年のとき世界ジュニア選手権で金メダルを獲得するなど将来を嘱望されてきたスケーターは、シニア転向2シーズン目に大きな飛躍を遂げた。精度の高い4回転ジャンプ、図抜けた柔軟性、観る者を引き込む情熱、すべてを発揮してみせた。

 あれからひと月近くが経とうとしていた。仙台市内の約束の場所に現れた羽生は、半ば照れたような笑顔で言った。

「過大評価かもしれませんが、初めて出場して、あそこまで頑張れたのは、すごかったんじゃないかと思います」

 それは過大評価などではなかった。

「あの夜は棄権も考えました」

 というアクシデントに見舞われての演技だったことを思えば――。

捻挫のため、一時は棄権も考えたショートプログラム。

初挑戦の大舞台ではフリーで会心の演技を見せ、自己最高点を大幅に更新して銅メダルに輝く 

 3月29日夜。羽生は翌日のショートプログラムに向けて練習していた。シーズン中、ショートでは4回転トゥループが思うように決まらなかった。だからいつもは2、3回で切り上げるところを5回、6回と続けた。

 そのときだ。「疲労がたまったからでしょう」。回転不足で着氷すると、右足首に痛みが走った。捻挫だった。

 その夜は歩けなかった。翌朝には大きく腫れあがっていた。

「歩けなかったときは、『明日滑れるのかな、棄権しようかな』と考えましたね」

 それでも出場を選んだ。

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photograph by Kozue Maeda

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