その屈辱を胸に、研鑽を重ねた5人の選手が、W杯という最高の舞台に
挑もうとしている。
かつての指揮官、反町康治の目に、彼らの勇姿はどう映っているのか。
2年前に下された決断が、いままさに正当性を帯びている。北京五輪に出場した18人のうち5人が、南アフリカW杯へ到達したのだ。
悪くない数字である。史上最強と呼ばれた'96年のアトランタ五輪代表も、2年後のフランスW杯へ食い込んだのは5人だった。川口能活、中田英寿、城彰二がレギュラーに指名された一方で、服部年宏と伊東輝悦は一度も出場せずに初のW杯を終えている。'04年のアテネ五輪代表で'06年のドイツW杯に参加したのは、駒野友一と茂庭照幸だけだ。しかも、茂庭は田中誠の負傷による招集だった。
'00年のシドニー五輪代表からは、オーバーエイジを含め9人が選出されている。フィリップ・トゥルシエが五輪とフル代表の監督を兼任して日韓W杯に臨んだためで、これぐらいのボリュームはむしろ妥当だ。
何よりも、アトランタ以降の五輪で唯一3連敗に終わったチームから5人が選ばれ、全選手が試合出場を射程圏内にとらえるところに、批判とともに解体されたチームの価値がある。本田圭佑は攻撃の中心であり、長友佑都は不動の左サイドバックだ。岡崎慎司と森本貴幸は、ジョーカーとして試合に絡んでいく。ここにきて定位置を明け渡した内田篤人も、チャンスが潰えたわけではないだろう。
「将来的にワールドスタンダードで戦える選手かどうか」
指揮官を務めた反町康治には、確信めいた思いがある。「5人が入ったって、別に驚くことじゃないぞ。世界では普通だ」という乾いた反応のあとに、そっと記憶の糸をたどる。
「五輪代表を立ち上げた時点で、本田以外は蚊帳の外だった。フル代表の監督だったオシムさんとよく話したのは、なるべく多角的な視野で選考しようと。その時々での序列はもちろんあるけれど、将来的にワールドスタンダードで戦える選手かどうかを、考えながら選んでいったというのはあるな」
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