その苦闘と栄光の足跡をたどる。
身長197cm、体重98kg。その太い腕から放たれた渾身のスパイクは、狙い通りアルゼンチンのブロックを弾きとばし、大きな弧を描いてコートエンドに消えた。それは、16年という長い年月をつなぐ放物線だった。
2008年6月7日。主将・荻野正二のスパイクで、全日本男子バレーボールチームはアルゼンチンとのフルセットの激戦に終止符を打ち、'92年バルセロナ五輪以来、4大会ぶりとなる北京五輪出場を決めた。
「記録より、記憶に残る選手になりたい」
この春、22年間の選手生活にピリオドを打ったウイングスパイカーがたびたび口にしてきた言葉だ。北京五輪行きを勝ち取ったあの1本は、日本男子バレーの行方を固唾をのんで見守っていた人々の記憶に、深く、確かに刻み込まれた。
男子は荻野一人だけで女子バレー部員とパスの練習を。
「大きい子がいますよ」
福井工大附属福井高のバレー部監督(当時)堀豊が、身長192cmの中学3年生の存在を聞き、会いに行ったのは'84年の秋だった。
「どんぐり頭でねぇ」。当時の荻野の姿を思い出し、堀はケタケタと笑った。
「手足が長くて、ガッチリしていて、バランスがよかった。ぜひ欲しいなと思いました」
荻野は野球部のエースで4番を張っていた。バレー経験はなかった。それだけの身長を生かすには、野球よりバレーをした方がいいと、堀は熱心に誘った。
「受験勉強しなくても高校に入れるんだったら、と思って」
荻野は、一大決心ではなかったかのように振り返る。しかし、思春期の男子が、高校入学までの約3カ月間、ブルマー姿の女子バレー部員に一人交ざってパス練習をしたと言うから、相当の覚悟があったのだろう。
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