Jリーグ発足以来、毎年のように優勝争いに絡み、昨季ついに13冠目のタイトルを獲得した。茨城の片田舎にあるクラブが常勝軍団となりえた背景には、“神様”ジーコがもたらしたプロ精神の継承、そしてチームを支えるフロントの驕ることなき緻密な戦略があった。
2009年、暮れ――。
イビチャ・オシムはオーストリアに帰るチケットを手に、11カ月ぶりに訪れた日本を離れようとしていた。成田空港のロビーで記者たちに囲まれると、ゆっくりと椅子に腰を下ろしてから語り始めた。老将は話題の中心をJリーグのあるクラブに置いた。
「まさに日本的バルセロナという戦い方だ。チームとしてのまとまり方、積極的なプレー、そして試合を勝利で終わらせるためのあのような知性を、日本代表にも持ってほしい」
いつもは辛口で知られるオシムには珍しく、礼賛の言葉が並んだ。「カシマ」という単語が弾むように何度も口をついて出た。
鹿島アントラーズは昨年、Jリーグ史上初の3連覇を成し遂げた。通算7度のリーグ制覇はJクラブのなかで群を抜いている(2位はジュビロ磐田、横浜F・マリノスの3度)。さらに言えば、一度も2ケタの年間順位を記録していないのは、この鹿島だけである。
鹿島のホームタウン人口は5市合わせて約28万人に過ぎない。浦和レッズの約6割ほどの経営基盤しか持たない茨城県のローカルクラブが、何故これほどまでに安定した力を誇り、成功を収めてきたのか。
歴代の監督や選手たちの奮闘は大きな要因であろう。だが、それに加えて見逃せないのが、チームを陰で支えてきたフロントの力だ。
彼らは、クラブ発足時からチームの土台作りに深く関わってきたジーコの思想をベースに、ローカルクラブゆえの危機意識を常に持ちながら、成長を促し続けてきた。その揺るぎなき組織戦略の内幕を探っていきたい。
特製トートバッグ付き!
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
photograph by Toshiya Kondo