甲子園の風BACK NUMBER
「日本でもっとも若いコーチ陣」「1年生を主将に」26歳で就任、3年目で甲子園出場…あの斬新ユニ校の青年監督の本音「目標が『出たい』ではダメ」
posted2026/10/13 06:07
斬新なユニフォーム、若いコーチングスタッフと話題に事欠かない青藍泰斗高だが、青山監督は真摯な指導哲学を持つ
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元永知宏Tomohiro Motonaga
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KYODO
コーチや監督による暴力的な指導、スパルタ練習、厳しい上下関係は、高校野球が抱える大きな問題だ。昭和が終わり、平成が過ぎ、令和になった今でも、不祥事のニュースは後を絶たない。
2025(令和7)年夏、名門の作新学院(栃木)を決勝で破り甲子園に乗り込んだ青藍泰斗(栃木)の青山尚緯監督は、1997(平成9)年生まれ。彼の野球人生をたどっても、暴力の影は見えない。
「私は群馬県の出身で、『甲子園を狙える強いチームに行きたい』と考えていましたが、一緒に野球をしている双子の弟がいたこともあって、市立の桐生商業を選びました」
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群馬県は前橋育英、健大高崎など私立の強豪と、高崎商業、高崎高校などの公立校がしのぎを削る激戦区だ。
「桐生商業には寮がなく、自宅から通える生徒が集まっていました。はじめ、先輩は怖かったですけど、理不尽にぶっ飛ばされるようなことはありませんでした。下級生がミスをしたらキツめに怒られる程度でした」
甲子園には届かずも指導者の道へ
青山が高校に入学した2013年の夏、2年生エースの高橋光成(埼玉西武ライオンズ)の好投で前橋育英が全国優勝を果たした。青山にとって最後の夏(2015年)、群馬大会を制したのは健大高崎。彼が主将をつとめた桐生商業は3回戦で敗れて甲子園に届かなかった。
「私は中学、高校とキャプテンを任されましたが、進学先を決める段階で『教員が向いているんじゃないか』と先生に言われ、高校野球の指導者になることを意識するようになりました」
関甲新学生野球連盟に加盟する関東学園大学でも野球を続けた。教員免許を取得し、指導者への道を模索する。彼が働き場所として選んだのは隣県の栃木にある青藍泰斗だった。
青藍泰斗は旧校名である葛生時代、1990年夏の栃木大会を制して甲子園に出場しているが、それ以降は聖地から遠ざかっていた。

